チリ入院記(2002年10月)

これまで体力・健康には自信のあった私ですが、チリでの滞在も7年半を過ぎた頃、病名を聞くと「げっ!」とのけぞるような大病をわずらってしまいました。 これまで入院も手術もしたことがない私。 病名よりも、「手術を受けねばナラナイ」ということに、思いっきり引きつってしまいました…。(超小心・こわがりです)

<8月頃>

なぜか右目がかすむような気がした。 花粉アレルギーかと勝手に判断して放置。 医者にかかる必要など全くないと信じていたノーテンキなこの頃…。

<9月はじめ>

目のかすみ具合が進んでいるような気が…。 ふと思いついて、片目ずつ手でフタをしてみたら、右目の視力が恐ろしいほど落ちていることがわかった。 雨の日の車のフロントガラスのようにしか見えない…。 さすがの私もヤバイと思い、あわててテイシュに訴え、目医者さんのアポを取ってもらう。

<9月10日>

はじめて目医者さんへ。 私のスペイン語力では、症状をうまく伝えることができないのではと心配だったが、英語ができる若くてなかなかハンサムなドクターだった。
検査した結果、彼の診断は、「キミには2つ問題がある。 ひとつは右目の表面にキズがあるから、この目薬を1日3回・1週間さすこと。 そして、もうひとつの問題だけど、キミの視力はとんでもなく悪いよ! この処方箋どおりにメガネを作り、半年間試して、2月にまた来なさい」

私は彼が「こわい病気ではない」と言い切ってくれたことに一安心。 ところが、その後テイシュがこのドクターに電話をかけて、私の病状を確認した後、「もう1人別の医者にかかれ!! あの医者はアブナイ。 なんだかやけに浮かれていて、まるでコカインでもやっているみたいだった。 若いヤツだろ? 信用できない。 典型的なPULENTO BACANだ!(かっこつけ、見栄っ張り、自信過剰の人を言います)」

私としては、彼がコカインをやっているかどうかは別として、まずは1週間この目薬を試してみないことには話は進まないと思い、テイシュのアドバイスはとりあえず無視した。
ところが、この薬を使っていても、全く効き目がなかった…。(ほとんど10,000ペソに近い高価な薬だったのに!!)
それどころか、右目は視野までもが狭くなっていくようで、右隣にいる人が見えない状態…。 これは本当にヤバイ病気にかかっているに違いないと思い、テイシュが連休でサンチアゴまで来た際、別の目医者さんにアポを取ってもらった。

<9月20日>

今度のお医者さんは、40代後半くらいの先生で、機械による検査のみならず、ルーペを使って私のメダマをあらゆる角度からのぞきこみ、丁寧にチェックしてくれた。 しかし、異常は見当たらず。 となると、メダマの裏にある視神経か網膜の問題である可能性が高いので、まずは視野検査をしなさいと言うことになった。
そこへ同伴していたテイシュが「念のために、スキャンも取ったほうがよいのでは…」とくちばしをはさむ。 テイシュの同僚に、やはり私と同じように急激に視力が落ちた人がいて、検査をしたら、目に小さな腫瘍ができていたそうな。 お医者さんも同意し、脳と目のCTスキャンを取ることになった。

<9月21日>

テイシュが今後の検査にあたって健康保険の手続き。 チリでは、保険・医療・薬業が分かれており、保険の申請は患者がしなければならない。 視野検査はそれほど高くなかったが、CTスキャンの検査代は、まともに払えば100,000ペソ以上。(保険申請をしたので、20,000ペソ以下になったが…)
尚、保険は診察や検査後に申請して返金してもらうことも可能だが、その前に手続きしたほうが負担額が少なくてすむ場合も多いらしい。

<9月23日>

視野検査を受ける。 片目ずつガーゼでカバーをし、ラッパみたいなものにカオをつっこむ。 光が見えたら、見え続けている間中、手元のベルを押すように言われた。
コドモだましみたいな検査だったが、渡された結果を見たら、チャートみたいな図に色鉛筆でいろいろ書き込んであり、シロウト目でも、あきらかに私の右目は異常らしいとわかる。(ある部分が赤でハゲシク塗りつぶされているんだもの) 検査は同じ眼科病院だったが、チリでは検査結果は患者に直接渡されることになっており、一旦持って帰り、次回の診察日にドクターに見せて診断してもらうしくみとなっている。

この夜、メキシコのチャット友達に「実は目の調子が悪くて…」と言ったら、やけに詳しく症状を聞いてくる。 なぜ?と思っていたら、「実は、僕の姉は眼科医なんだ。 これからキミの症状を伝えて、どんな病気の可能性があるか聞いてみるよ」
30分後に再開したチャットでの、彼のお姉さんの診断では、やはり視神経か網膜の問題だろうということで、3つばかりの病名を言い渡された。 どれも投薬で直るような病気だったので、ひとまずホッ。 

<9月24日>

朝一番にCTスキャンの検査のため、パルケアラウコ内の病院へ行く。 飲まず食わず。 身体にヨードを注入されて検査がはじまる。 ヨードが注入されると、身体がぽ〜っと熱くなる。 約45分間の検査の後、検査技師に、「ホルモンと血液の検査は受けたか?」と聞かれた。(ここで、なんとなくいや〜な予感がした)

<9月25日>

仕事が終わってからCTスキャンの結果を取りに行った。 診断結果も入っているが、スペイン語のために私にはよくわからない。 電話でテイシュに読み上げると、「2cmくらいの大きさのデキモノが脳にあるらしい」 …不安的中。

この晩、再びメキシコの友人とチャット。 なんだか2cmのできものがあるらしいよ…と話したら、「検査結果をスキャンニングして、メールで送れないか?」 明日、職場で取って送ると約束した。

<9月26日>

職場のスキャナーで、視野検査とCTスキャンの結果を取って、添付ファイルでテイシュとメキシコの友人に送った。
テイシュから、19:20にドクターとアポが取れたと連絡あり。
病院で待っていたら、診察の前にテイシュよりTEL。 私が添付で送った検査結果を、コンセプシオンの眼科医に見せたら、「腫瘍摘出手術が必要」と言われたそうな…。
内心まっさおになりつつも、「こっちのお医者さんは別のことを言うかもしれない!」と期待し、診察室へ。 しかしながら、検査結果を読んでいるドクターのカオがどんどん真剣になっていく。
読み終わって私の方に向き直ったドクターは、「キミの場合、目は悪くない。 しかし、脳にできている腫瘍が右目の視神経をプッシュしているから、視力が落ちてきているんだ。 腫瘍はどんどん大きくなるから、一刻も早く摘出手術を受けなければいけないよ。 今度は神経外科医にかからないと。 でも、これはよくある病気だし、ほとんどの場合は良性の腫瘍だよ。 そして、通常腫瘍を摘出した後の予後はよく、視力も取り戻せるから」
ドクターはそうやってなぐさめてくれたけれど、私は病名の重篤さよりも、手術を受けねばならないということに、ただショックを受けてしまった。

夜、メキシコの友人も、「姉に検査結果を送ったら…キミは手術を受けなければいけないと言っていた」
…3名の眼科医が、口を揃えて手術とおっしゃる。 これはもう逃げられないと覚悟。 さすがの私も、この夜は何も食べる気になれなかった…。(すきっ腹にやけビールを飲み、酔ったいきおいで寝た)

<9月27日>

手術騒ぎ(?)にあせったテイシュがなんと夜行バスでサンチアゴに出てきた。
テイシュはコンセプシオンですすめられた神経外科のマルティネス医師のアポを取ろうと電話のかけまくり。 彼曰く、「予約でいっぱいのところを看護婦長さんに拝みまくった」そうで、一緒にHOSPITAL FACH(空軍病院)へ。 ドクター・マルティネスは快く「アポの患者さんを診てからでもよければ」と言ってくれた。
1時間ほど待ったあと、ドクターに連れられて、彼のオフィスへ。 CTスキャンの結果をみたドクターは、「腫瘍の部位によっては、薬物投与でも治せるかもしれないから、RESONANCIA MAGNETICA(MRI検査)と、ホルモン状態をチェックするための血液検査を受けなさい。 そして、両方の結果が出たら私に電話しなさい。 これが携帯の番号だから…。」

まだ昼を過ぎたばかりだったので、「今日の午後でも何かの検査を受けることができるのでは?」と、再び保険屋へ。 検査を受ける病院CLINICA SANTA MARIAのアポを取ってもらいながら、保険の申請をする。 まともに払ったら、MRI検査は200,000ペソ以上、血液検査も全項目合計で80,000ペソ以上。 共に約1割弱の負担で済んだが、実際に手術ということになったら、一体いくらかかるのかと心配になってしまった。

夕方、MRI検査を受けに病院へ。 検査の6時間前は飲まず食わずでないといけないというので、昼食も抜きになってしまった。 精神的にはまいっているはずなのに、昨夜からろくに食べていないので、私は空腹でぶっ倒れそう。
MRI検査は、CTスキャンと同様、カプセル状のものに入る。 音がとてもうるさいからと耳栓をされるが、それでもボーンボーンという音や、ポンポンポンといったようないろいろな音が聞こえてくる。 ちょっとおもしろい検査だった。 しかしながら、CTスキャンと同様、ヨードを注射しての検査ゆえに、今日その他の血液検査を受けることはできないそうな…。(泣)

検査が終わってほとんど18時。 その間、病院内を探検していたテイシュがとりあえず院内のカフェテリアに連れていってくれた。 そこでチキンサンドやら、シュラスコ+トマトのサンドなどをばくついてしまう…。

<9月28日>

血液検査を受ける。 ただし、ホルモンによっては朝いちに採血しなければならないものもあり、そのためにまた明朝来なければならない。 う〜。

<9月29日>

日曜日も病院が開いており、検査を受けられることがわかってちょっと感動。 但し、指定された8:00に来ても、受付には誰もいない。 15分ほど待っていたら、ようやく看護婦さんが一人登場し、採血。

<10月01日>

朝いちにCLINICA SANTA MARIAに行って、検査結果をもらってきた。 その後、ドクター・マルティネスと12:00のアポが取れたので、一旦事務所へ寄ってから、空軍病院へ。
検査結果を診たドクターは、「キミの腫瘍は△△ではなく、○○の方だ」
戸棚に飾ってあった(?)頭蓋骨標本を持ってきて、ほとんど中心を指差し、「…ここに出来ているんだよ。 これは、投薬ではなく、手術して摘出しなければならないな」
「ひえ〜っ。(内心の叫び) 手術というと、鼻からやる手術ですか?」
「いや、キミの場合はクラシックな手術じゃなきゃダメだ。 もしここに腫瘍が出来ているのならば経鼻手術も可能だけど、中心だから届かないんだよ」
ワタシの引きつったカオをみて、
「大丈夫! この手術はシンプルだし、キミは若くて健康だ。 血液検査の結果もすべて正常だから、この際きれいに全部取ってしまったほうがいいんだよ!」
とても説得力のあるお言葉ですが、クラシックな手術というのは、頭蓋骨を切り開くということではないのだろうか…?
「で、いつ手術する? 腫瘍はどんどん大きくなるから、なるべく早くやったほうがいいよ。 (手帳をパラパラとめくって)10月10日はどうだろう?」 ワタシとしては、イヤもおうもない。
「それでは、午後14時から始めるから、9時までにここへ来て入院の手続きをしなさい」
「あの〜、入院期間はどれくらいになるのでしょうか?」
「回復状況にもよるけれど、大体7日間くらいかな?」
えっ、頭蓋骨切るのに、そんなに短くてもいいの?と不安になりつつ、ドクターに連れられて入院手続窓口へ。 担当者がてきぱきと用紙に記入してくれた見積もりを見たら、ドクターの手術執刀料金、麻酔医の料金、第一助手の料金+手術室利用の料金だけで、3,410,175ペソ。 さらに入院代が1日あたり115,000ペソ。 集中治療室使用料金が1日あたり140,600ペソ。 その他、入院中の検査代などを入れたら、…気が遠くなるような料金になるのでは?と引きつってしまった。 

<10月10日>

とうとう手術日。 日本だったら、数日前には入院して、各検査をしてから手術という順番になると思うが、私の場合は9時入院・14時手術というスピーディーな展開である。 病院側は私の血液型すら知らないのではないか…と思っていたら、テイシュが入院手続きをしている間に呼ばれて血を採られ、カルテ表紙にA型・RH(+)とでっかく書かれたものを渡された。
その後、入院病棟に案内される。 通された部屋は8畳くらいの個室。 トイレとシャワーがついていて、とても清潔。 テレビもちゃんとケーブルが入っていた。 ちなみにこの病院は、サンチアゴでもかなりアンデス寄りにあるので、窓からの景色も山々が見えて落ち着く。

ナースさんが次々にやってきて、問診、採血(なんと手の甲から取られてしまった。 痛かった…)、心臓のチェック。 最後に麻酔を担当する先生が来て、どのようにかけるかを説明してくれた。
「アナタの場合は、血液から入れるからね。 手術の経過を見ながら麻酔を続けるから、終わって20分くらいしたら目が覚めるわ。 覚めた直後はきっと赤ちゃんみたいに変なことを口走るだろうけれど、それが普通だから安心してね」

13時になって、ナースさんよりポンチョ風の手術着を渡された。 全部脱いで、すっぽんぽんになってからかぶりなさいとおっしゃる。 そして、足元にはなにやら袋みたいなものをかぶせられた。 その後、ストレッチャーに横になれと…。 その時点ではまだぴんぴんしているので、今から運ばれなくても、自分で歩いていけるのに…と思いつつ、反駁もできずにストレッチャーへ。
病院内をぐるぐる回って手術室近くの準備室へ入った。 ここで点滴を受けて、再度採血。(またしても手の甲から…) その後20分ほどして手術室へ。 頼みのドクター様の姿はまだ見えず、優しい麻酔の先生と何人かのドクターORインターンに囲まれ、麻酔が始まった。
血液からの麻酔と言われていたのに、なぜかキョーフの脊椎麻酔。 何人かに押さえつけられ、ワタシは痛さにうめき、エビ反り状態…。 普通ならば、麻酔のかかり始めは「はい、数をかぞえて…」とか言われると思うが、結局エビ状態のままで意識を失ってしまった。

<10月11日>

昨日の手術は、結局18時過ぎまでかかったらしい。 手術なんて寝ている間に終わるわよ!と友人より言われていたが、私にとっては本当にその通りだった。 但し、外で待っていたテイシュは、「2時間くらい」と言われていたのに、4時間たっても終わらないものだから、かなり心配していたそうだけど…。
ドクター様曰く、「腫瘍は全部切除したよ」 手術に立ち会ったインターンらしき人が、テイシュに向かって、「本当に素晴らしい手術だったのよ〜」と声をかけてくれ、ほっとしたそうな。
ワタシ自身は、麻酔から目覚め、テイシュのカオを見て声をかけたところまでは覚えているが、その後再び寝入ってしまったらしく、術後意識を取り戻したのはこの日である。 なんだか股間に違和感を感じると思ったら、カテーテルなるものをつけられ、自動的におしっこが取られるようになっていた。 おまけにクビには点滴と麻酔。 口と鼻には酸素吸入器。 入っている部屋は、最初に通された個室ではなく、集中治療室。
意識がはっきりしている時に、テイシュに「目はどう?」と聞かれる。 そういえば事の起こりは右目だったんだ…と思いつつ、左目にフタをして右だけで見たら、手術前の悲惨な状態とはうって変わってちゃんと見える! それに、アタマもぼーずにはなっておらず、ちゃんと髪の毛があった。

<10月12日>

朝めざめて薬を飲んだあと、「ASEGUITOよ〜」と言って、ナースさんが2人やってきた。 部屋の掃除でもするのかと思ったら、いきなり毛布をはがれ、暖かいお湯に浸したタオルでカオや身体を拭かれ始めた。 この時点での私の服装(?)は、手術着と同じポンチョ。(下着もつけていない)
あれ〜っと思っていたら、ハダカのお尻の下にオマルをおかれ、「さっ、足を開いて」と言われ、なんとなんと局所にお湯をかけられ、洗われてしまった…。 身体はびしょぬれ状態だが、着ていたポンチョやらシーツやらで拭かれて、全部新しいものに取り替えてくれた。 気持ちはよかったけれども、恥ずかしさの極地…。

<10月13日>

集中治療室から、半集中治療室みたいなところに移される。 これもまた個室。 しかし、目の前にナースさんの詰め所があり、うるさい。 おまけにカーテンもドアも閉めてはいけないために、銀座大通りの前に寝かされているような感じだった。
そして、この日のASEGUITOには、なんとなんと男性看護士が来てしまった。 しかも若い! お尻の下にオマルをしかれ、「足を開いて」と言われたときは、「もうどうでもいいや」と開き直り状態。 視線が合うともっと恥ずかしいので、じっと目をつぶっていた。 しかし、この看護士さんは非常に丁寧に洗ってくれた。 仕上げもコロンやらデオドラントまでつけてくれたし…。(チリは体臭というものをいやがる国なので、病人といえども汗くさくてはいけないらしい)

この日より、病院食を食べるようになった。 3食の他にオンセ(おやつ)まで出る。 点滴をつけているせいか、食欲はほとんどなし。 尿道カテーテルが取り外されたが、まだ立ってトイレに行くことは許されず、ナースさんを呼んでオマルをお願いしなければならない。 これまた恥ずかしさの極地。 終わったら拭いてもらわねばならないし、一度なんて例の男性看護士さんが来てしまった…。

夜になって、手術の際に助手を勤めたというドクターがやってきた。 この先生は日本びいきらしく、こっちは眠たいのにうるさく日本について質問されてしまった。 日本の皇室について聞かれ、「今のプリンセスはマリコさんだよね」
「マリコ? なんだか違うぞ…」と思いつつも、正確な名前を思い出せない…。 今度は日本の小説家の名前をあれこれ聞いてくるのだが、なぜか高名な作家ではないので、ますます混乱してくる。 あ〜、うざいっ! ただでさえスペイン語苦手なのに、もうろうとしている時にそんなしんどいこと聞くな〜とココロの中でののしりつつ、つれない返事をしていたら、ようやくあきらめて出ていってくれた…。

<10月14日>

手術が終わって数日たつが、身体を起こすと割れるような頭痛が取れない。 食欲もなく、ほとんど食べられない。 しかしながらなぜかおしっこが出る。 あまりにも尿量が多いので、ホルモン状態がよくないのではと思われ、またしても採血。 尿量をはかるために、オマルから尿道カテーテルにカムバックしてしまった。 正直言って、こっちの方がオマルよりははるかに気がラクなんだけど…。

ちなみにこの夜、私は暴れたらしい。 割れるような頭痛のせいで、痛み止めを要求していたのは覚えているが、看護士さんの話によると、何度となく私はベッドから出ようとしたそうな。 
翌朝起きると、ベルトでベッドに固定されていた。 そんなに狂いまくったなんて信じられない。 モルヒネのせいだろ〜か?

<10月15日>

相変わらず半集中治療室だが、午後になったら「窓のある部屋に移してあげるよ」 …昨夜の大暴れが功を奏した(?)のかしらん?

ぼ〜っとしながらナースセンターを見ていたら、ピースマークとクジラの風船を持った人が歩いていた。 「あ〜、私もあれ欲しい!!」とテイシュと騒いでいたら、なんと勤務先の同僚のカルメロさんだった。 入院前に「ゼッタイにお見舞いになんてこないでね! ぼ〜ずになったところなんて見られたくないから!」とみんなにうるさく言っていたので、彼が代表してカードとお見舞いを持ってきてくれたらしい。
しかし、このピースマークとくじらの風船、私もうれしかったけれど、ナースさん達に大好評。 入れ替わり立ち代わり、私の部屋に見にくる。 ピースマークの方は、私のドクター様の名前がつけられてしまい、クジラの方もなんとかクンというあだ名がついてしまった…。

入院6日目にして、はじめてちゃんと病院食に目が向くようになった。 朝は8:30頃に持ってきてくれる。 パン、チーズかハム、マーマレードか蜂蜜、それにフルーツのコンポート(缶詰)、カップに入ったお湯、紅茶のティーバッグがついてくる。 お湯は言うまでもなく冷め切っており、紅茶は単なる色付きぬるま湯と化してしまう…。 ある程度のリクエストができるそうなので、まずはこのぬるま湯をホットミルクにかえてもらうようにテイシュに頼んでもらった。
昼食は大体12:00過ぎに配膳されるが、ちょっと人間の食べるものとは思えないような壮絶なものが出てくる…。 例えば味のついていない肉くさいミートローフに、緑の野菜のピューレ。 このピューレ、ベースになっているのがアボガドで、それに玉ねぎ・ジャガイモ・にんじんなどを細かく刻んでゆでたものがミックスされている。 味は同じくほとんどついていない。 私はアボガドが大好きだけど、青臭さ過ぎて、塩をふってもとても食べられない…。 仕方がないので、前菜代わりのアスパラガスのサラダだけ食べる。 一応、コンポートのデザートとパンもついて、フルコースにはなっているのだけれど…。

<10月16日>

ドクター様の回診時に、普通の部屋へ移れないかどうか聞いてみた。 この部屋にいると、誰でも気軽に部屋に入ってくる。 例えばちょっと通りがかった掃除婦さんが、私の部屋へひょこっと入って、ゴミ箱にゴミを捨てていくような状態。 眠っている間にこれをやられると、睡眠の浅い私はすぐ起きてしまう。
直訴が功を奏して、午後に個室へ移った。 テレビがついているのがなんといってもうれしい。 それに、ちゃんとしたドアがあるので、外からそうそう気軽に部屋へも侵入できないし。 窓からはアンデスの山並みも見えるし…。

個室へ移ってからも、食事内容は相変わらず。 救いは朝ゴハンとオンセである。 これまでは冷たい食パンだけだったが、朝は丸くてちょっと甘口のパンに変わった。 オンセのメニューはほとんど朝食と同じだけれど、丸いパンの代わりに、ビスケットやクラッカーが数枚ついてくる。 テイシュに頼んで、ヨーグルトと果物を昼食と夕食時につけてもらうようにした。 さらにこっそりとテイシュに差し入れも…。(本当は禁止らしいが、下のカフェテリアでチキンサンドを買ってきてもらった。 こっちのほうがよっぽどウマイ…)

<10月17日>

せっかくプライベートトイレがあるのに、まだ点滴がつけられ、オマル利用。 幸い個室病棟は女性のナースさんだけでほっとするが、オマルだと、致した後きちんと拭けないのが非常に悲しい。 相変わらず頭痛もひどいので、ドクター様に訴えたところ、「麻酔の先生に確認してみるよ。 その痛みは、多分麻酔が関係していると思うから」

食欲は相変わらずほとんどなし。 そして、今日の昼食も恐ろしいものが出た…。 脂の抜けきったお肉(もはや、何の肉かもよくわからないし、どのように調理してあるのかも不明)にインゲンと玉ねぎとにんじんをさいの目に茹でて切ったものをぶっかけたもの、それにタマゴとビーツのサラダ。 私はゆでたまごが大好物なので、これなら食べれる!と思ったのに、なんとなんとタマゴは白身だけだった…。 ゆで卵をくし型に4等分し、それを裏返しにしてビーツの上に飾ってある。 ひっくり返したら、黄身は全くなし。 一体、キミはどこへ消えてしまったのでしょう…。

私があまりにも食べないのに見かねたテイシュが午後アルト・ラス・コンデス(近くのショッピングモール)まで行って、JUMBOの前にある寿司バーでお持ち帰りの巻き寿司セットを買ってきてくれた。 テイシュの気持ちはとてもありがたかったが、このお寿司も純ニホンジンである私には寿司とは呼べないしろものだった。 ゴハンに全く味がついていない。 寿司飯になっていなくても、せめておにぎり風に塩味くらいつけてくれないと…。 サンチアゴにはチリ人オーナーによる日本レストランが増えているけれども、やっぱりそんなところでは食べられないな〜と思ってしまった。

<10月18日>

ドクター様が朝の回診時に、「後で麻酔の先生が来るからね」
11時頃に優しい麻酔の先生が来てくれた。 横になっていると大丈夫だけれど、上半身を30度くらい起こすと、割れるような頭痛がすると説明すると、「多分これが原因で、こうすれば治るのよ」 …あまりにも専門的な言葉が多すぎて、さっぱり意味がわからず。 「それでは、すぐに下に行って治療をしましょう」
ストレッチャーに載せられて、再び手術室へ。 すでに緑の手術着をつけたスタッフが5人ほど待ち構えていた。 身体を横にされ、またしても脊椎への注射である。 しかも今回は、腕から10ccほどの血液を採取し、それを脊椎に注射するらしい。 例によって私はエビ反り・うめき状態…。
今回は麻酔ではなかったために、それが済むとすぐにスタッフ達に、「さあ、身体を起こしてみようね」 すると、なんとなんとこれまでずっと悩まされつづけていたアノ割れるような頭痛がぴたりと止まってしまった。 スタッフはみなで「やった〜、マジックが効いたわね〜」と歓声をあげて喜びあっていたが、私も一緒になってバンザイしたいほどだった。
それにしても、こんなにも即効で効く治療法ってナニ?と不思議に思うばかり…。 あとでナースさんに聞いたら、「私も出産の時、麻酔をかけたらアナタのようなひどい頭痛に襲われたのよ。 でも、血液を注射したら、びたっと止まってしまったわ」

このあと、チューブ類が取り外され、自分でトイレへ行ってもよいという許可が出た!

<10月19日>

朝ナースさんが来て、「付いていてあげるから、シャワー浴びていいわよ」と言ってくれた。 「えっ、ホントですか!」と大喜びの私。 手術してからほとんど寝たきりだったために、身体はかなりふらつくが、このチャンスは逃せない! 部屋についているシャワーは受話器方式で、しゃがんだ状態でも浴びることができる。 ナースさんがついているため、のんびりと身体を洗っている余裕はなかったけれど、本当にすっきりした。 髪の毛はいつになったら洗えるのだろうか…。

ちなみに、入院してからこっち、私は一度も大の方を出すことができずにいる。 ドクター様やナースさん達には、毎日のように「出た?」と聞かれるのだけれど…。 水分をたっぷり取るように言われるので、自分でもうんざりするくらい水は飲んでいるし、普段の食事はまずくて食べなくても、デザートの果物に牛乳、ヨーグルトはちゃんととっているのに。 便秘とはほとんど無縁の私が、10日たっても出ないというのは、かなりのことである。

<10月20日>

朝のドクター様の回診時に、退院日程について相談。 テイシュが今日コンセプシオンに戻らなければならないので、私としてはなんとか今日中に退院したかったのだが、ドクター様は「帰っても一人しかいないのに、何かあったらどうするんだ! せめてもう3日くらいいて、体力が戻ってからにしなさい!」
あと3日もこの食事に耐えなければならないのかとひきつったが、確かにドクター様のおっしゃる通り、今の私の体力では、家に帰ってもしんどい可能性が高いので、泣く泣くもう数日ガマンすることになった…。
ちなみに自宅へ帰ればリラックスして出るのではと思ったが、あと3日もここに居続けなければならないのならば、やはり出すべきものは出さねばつらい。 ドクター様に、「どうしても『大』が出ないんです〜」と訴えてしまった。 ドクター様は数秒考えていらっしゃったが、「よし、じゃあ、LAVADO SUAVEをやろう!」
ん? LAVADO SUAVEって…? LAVADOは「洗う」、SUAVEは「柔らかい」という意味なので、「ぬるま湯でお尻を洗うのかな…」
それは恐ろしい勘違いで、その後ナースさんが持ってきたのは、日本で言うところの「カンチョー」に間違いないモノだった…。 これまでそのお世話になった経験はないけれど、形状からして察しがつく。 横になって下着を下ろして…と言われ、屈辱と痛みに耐えながらの初体験。
ものすごかった。 注入後、「なるべくガマンしてね」とおっしゃるものの、そんなわけにはいかない。 うっかりベッドで横になっていると、間に合わずに粗相をやらかす気配すらアリ。 1分と耐えられず、「行ってきます!」とナースさんに宣言して、トイレへ。 ナースさんは、「力を入れちゃだめよ、自然に出るままにまかせるのよ〜」と外で説明していらっしゃるけれど、お尻の括約筋が収縮するというのに、力まずになんていられないのである。
その後、誇張ではなく、1時間は激しい収縮に耐えつつトイレにこもっていた。 そうこうしているうちにテイシュは来るし、お昼ゴハンも来るし…。 そして悲しいことには、1時間こもっても成果は出ないのである。 その後もトイレとベッドを行ったり来たりで、昼ゴハンどころではない。 トレイのふたを開けてみたら、今日はめずらしくローストチキンとマッシュポテトといった、食べられそうなメニューだったのに…。(これらは全部きれいにテイシュの胃袋におさまった)
苦闘のあげく、ようやくご本尊がお出ましになったのは、体験後4時間くらいたってからであった…。 出産経験のない私であるが、これはそれに匹敵する苦しみではないでしょうか??

<10月21日>

昨日テイシュがコンセプシオンに戻ってしまったので、今日から退院までは一人である。 今日は首につけていた点滴や麻酔を受けるための器具を取り外してもらった。 ナースさんが、「アナタの首に、このチューブがこれだけ入っていたのよ」と言うのを見たら、6〜7cmの長さであった。 細い細いチューブだけれども、どうやってあんなものをそんなに深く入れたんだろうと思ってしまった。 とりはずしてもらってさっぱり。 これで、シャワーを浴びても首筋までちゃんと洗えるし。

ドクター様が朝の回診で、「退院を伸ばしてよかったよ。 明日、針を取ってあげる。 午後には髪の毛も洗えるよ」
うれしい〜。 でも、私は例によって、「針を取るって…痛いんですか?」
ドクター様は、「キミは何かと言うと痛いかって聞くんだな。 痛くなんかないから、大丈夫だよ」

さて、キョーフの病院食。 朝ゴハンとオンセはよいとして、昼食と夕食に関しては、フタをあけた際の蒸れたニオイをかいだだけでもうダメ、という感じ。 懸念の便秘も治ったことだし、ほかほかゴハンと焼き海苔を夢見る毎日になってしまった。 ちなみに夜の食事には、またしてもミックス野菜ごちゃまぜ風が出た。 今回は、アーティチョーク、じゃがいも、玉ねぎ、にんじんのミックス。 アーティチョークは、独特のニオイがある花のつぼみの芯である。 これをレモンにつけながら食べるのは私も好きだが、他の野菜とごちゃまぜにされると、そのニオイが全部の野菜についてしまうので、とても食べれたシロモノではない。 そして、パサパサに乾いたお肉。 もちろん茹でてあるのか、焼いてあるのかも不明である…。

<10月22日>

朝、ドクター様が、「さあ、針を取るぞ〜!」 今は針と糸で縫うのではなく、ホッチキスみたいなものでとめるらしい。 ドクター様は、ホッチキスの芯のようなものをペンチ状の器具でパチパチと切っていく。 時々まだ頭皮にくいこんでいる部分もあるようだが、ドクター様は情け容赦もなく、無造作にそれも引っこ抜かれる。 全部取った後、消毒をして終わり。 その間約10分。 「午後になったら、髪の毛洗っていいからね」
「あの〜、普通にシャンプーとリンスしてもかまわないんでしょうか?」
「うん、大丈夫だよ」
ドクター様が上機嫌で出ていかれたあと、ナースさんが、「洗うのは、お昼ゴハンの後ね。 終わったら、消毒するから声かけてね」と優しくフォロー。

昼食後、恐る恐るシャンプー。 頭頂から右耳後ろにかけて切った手術跡に、かなりのかさぶたが残っているようだ。 まだ痛むので、ゆっくりとナデナデするように洗い、リンスで仕上げ。 久々に全身がきれいになった! これで明日はさっぱりして帰宅できる。

夕方になって、麻酔の先生やナースさん達が、「明日退院だから、お別れにきたのよ〜」と次々に部屋に挨拶に来てくれた。(感激…)

<10月23日>

いよいよ退院。 午前中に帰る気マンマンの私は、早々とシャワーも浴び、着替えを済ませ、荷造りも終え、後はドクター様の最後の回診を待つばかりである。 ドクター様の前に、ナースさんがやってきて、これまでの私の検査結果をどさっと渡していった。 かなりの量と重さである。 前にも書いたけれど、この国は検査結果はかかりつけの病院ではなく、個人が保管するのである。
その後ドクター様が「おっ、もう着替えているのか」というカオで入ってこられ、退院後の投薬、2週間後の来診について丁寧にメモしながら説明してくれた。 私が「もうビール飲んでもいいですか?」と聞いたら、「アサヒはまだダメ」とでっかい字でメモに書かれてしまった…。
最後に、「私の命を救ってくださってありがとうございました」と挨拶したら、大いにてれたカオで「イヤイヤイヤ」 続けて「命だけでなく、視力と髪の毛も救ってくださったんですよね」と言ったら、さらに恥ずかしそうなカオして立ち上がられてしまいました。
ああ、いい先生に診て頂けて、本当によかった…。

チリの病院総括

1.お医者さんや医療スタッフ

みなさんとっても親切。 ドクター様なんて、多分チリ神経外科界ではかなりすごい人のハズ(私の手術の1ヶ月半くらい前に、今をときめく防衛大臣のバチェレット女史の脳手術を執刀したくらいだから)、なのに全く尊大なところなし。 質問すれば丁寧にわかりやすく答えてくださるし、何か問題があったらすぐ連絡しなさいと携帯電話の番号も教えてくださったし…。
驚いたのは、平日・休日にかかわらず、毎朝回診してくださったこと。 日本だと、担当医・執刀医にかかわらず、毎日回診してくれるなんてことないですよね〜、きっと。
ナースさんたちも「白衣の天使」という言葉がぴったりくるような優しい人ばかりでした。 患者さんへの接し方なども、よく訓練されているのではないかと思いますが…。

(空軍病院に入院した他は、検査その他で2つの眼科病院・パルケアラウコの病院・クリニカサンタマリアと合計5つの医療施設に行った上での感想です。 但し、5つともそれなりの医療施設なので、貧乏なエリアの病院やクリニックはもっと殺気立っているかもしれません…)

2.HOSPITAL FACH(空軍病院)の病棟

個室はホテル並。 ケーブルの入ったテレビがついているし、トイレ・シャワーは近代的・清潔で、タオル類は毎日、シーツ類は2日に1度取り替えてくれました。 大部屋もあるようですが、病棟が違うので覗けませんでした。 私の場合は脳手術だったので、最初っから病院側で個室と指定。 ちょっとしんどかったのは、どのドアにもカギがないこと。 とにかく誰でもノックもせずに入ってくるんですよね。 一度、トイレに入っていたら、「失礼」とか声をかけられて、答える間もなくお掃除のオバサンがひょいとトイレのドアを開け、バスルームのゴミを当然のごとく回収していったのにはびっくりしました。(私は座り込んで小用を足しておりました)

3.HOSPITAL FACH(空軍病院)の食事

入院記にも書いたけれど、これは本当にすごかった…。 どうやってこれほどまずくできるんだというようなしろものでした。 特徴としては、なぜかミックス野菜がお気に入りのようで、一般人の私には想像もつかないようなコンビネーションとなって現れましたね。 先に書いたアボガドのペーストをベースにしたミックス野菜なんて、2週間の入院中、2度も出てきましたし。 よくあるパターンとしては、かすかすのお肉(味がない)に、にんじん・玉ねぎ・インゲン豆・トマトのミックス野菜をぶっかけたもの。 これもお得意だったようで、ちょくちょく登場しました。 1回スパゲティーミートソースが出た時は、「これなら食える!」と喜んだのですが、なんとひき肉と玉ねぎを炒めたものが単にスパゲティーにかけてあるだけで、トマト味は全くついておらず、ひたすら肉くさかったです…。 一言で言えば、痩せたい人にはうってつけの病院です。 ちなみに、朝は8:30頃、昼食は12:00過ぎ、オンセは16:30頃、夕食は19:00過ぎに配膳されました。

4.チリでの医療費

保険がないと、恐ろしい金額になることがよくわかりました。 日本では、おそらく普通の健康保険と国民健康保険の2種類しかないと思いますが、チリでは保険会社はプライベートのところが多く、収入に応じて自分で好きなところに加入できます。 もちろん保険の種類によって、負担金額も違ってきます。

入院時にはやはり金額欄を空白のままにしたチェックを請求されました。 しかも、2枚。(入院代と執刀代) 退院後、3週間くらいで病院から請求書が送られてくるそうですが、それを払わない場合のギャランティーとして保管されます。 突然倒れたとか、交通事故にあった場合に、空白チェックがないと、病院側が受入を拒否することが多いため、たらいまわしにされた患者が手遅れになってしまうということがチリでは問題になっていますが、私もチェックがなければ、入院できなかったのでは…と思います。
外国人が観光などでチリに来て事故にあった場合、とりあえずは病院に全額払って、後は日本へ帰国してから保険会社に払い戻しを請求することになると思うので、限度額の多いクレジットカードは持ってきたほうがいいでしょう…。(外国人には、クレジットカードをブロックすることでギャランティーとする場合が多いので)

最終的に今回どれくらい費用がかかったかについては、また請求書がきてからご報告致しますが、…金額を見るのが非常に恐ろしいです…。

と、前回上記まで書いたところで保留になっておりましたが、送られてきました、請求書。 最終的な明細は以下の通りでした。

ドクター代は、執刀医、第一助手、麻酔医、手術前の心臓チェック医師、そして術後の細胞検査医師代の合計金額で、その他はすべて入院費になります。 入院費の明細を見たら、今回の治療にあたって使用した薬品、注射などが、ずら〜っと10枚ものページに渡ってカルテ並に羅列されていました。
病院側からは、「1ヶ月先の12月25日の日付で小切手を切り、持ってきなさい。 そうしたら保険請求に必要な資料と領収書を全部渡すから」とのこと。 つまり、「小切手をもらっても、即換金はせずに1ヶ月待ってあげるから、その間に保険金を払ってもらいなさい」というはからい。 なかなか親切ですね。 

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