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薬剤師

薬剤師(やくざいし)は、「調剤、医薬品の供給その他薬事衛生をつかさどることによって、公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保する」高度専門職業人である(薬剤師法第一条)。現在日本でこの資格を得るには6年制の薬学部を卒業後、薬剤師国家試験に合格しなければならない。以下、主に日本の薬剤師について述べることとする。

 

薬剤師に付与される資格

無試験・講習(薬剤師資格があることにより付与される資格)

毒物劇物取扱責任者/食品衛生管理者/衛生検査技師/麻薬取締官/衛生管理者/船舶に乗り込む衛生管理者 など

有試験(受験資格が付与される資格)

臨床検査技師/甲種危険物取扱者/労働衛生コンサルタント/ など

有試験(選択科目が免除される資格)

弁理士・技術士など


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(以下 その他の情報)




パンノニア

パンノニアには、元々はイリュリア人に近い部族であるパンノニア族が住んでいた。紀元前4世紀以降、この地域は多くのケルト人部族からの侵略を受けるようになるが、その頃の出来事についてはあまり知られていない。

紀元前35年、当時のパンノニアはダルマティア族と同盟を結んでいたが、初代ローマ皇帝アウグストゥスが侵攻してきてシスキア(Siscia、en:Sisak)を征服した。紀元前9年、パンノニアは明確にローマ帝国の支配下に入り、イリュリクム属州に併合されて国境線がドナウ川まで広がった。

西暦6年、パンノニア族はダルマティア族など他のイリュリア人と連合して反乱を起こした。激しい戦いが3年間続いたが、結局はローマ帝国のティベリウスとゲルマニクスによって制圧された。この後にイリュリクム属州は新に二つの属州に分割され、北側がパンノニア属州、南側がダルマティア属州になった。分割が正確にはいつ行われたのかは不明だが、20年から50年の間だと考えられている。この地域の隣は攻撃的な蛮族(クァディ族、マルコマンニ族)の領域だったので、ドナウ川の川岸には大勢の軍が配備され(後年には7個軍団となった)、数多くの砦が建造された。

上パンノニア属州はコンスル格の総督(レガトゥス)が支配し、この総督は駐留部隊として3個のローマ軍団の指揮権を有した。一方の下パンノニア属州は、初めはプラエトル格の総督が駐屯部隊として1個軍団を持ち統治したが、皇帝マルクス・アウレリウスの後は軍団数はそのままにコンスル格の総督の担当地域に変更された。ドナウ川の国境線を守るために、皇帝ハドリアヌスによってアエリア・ムルシア(Aelia Mursia 、現オシエク)とアエリア・アクィンクム(Aelia Aquincum、現en:Obuda)の二つの植民市が築かれた。






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カペー朝

987年、西フランク王国の国王ルイ5世の死去によりカロリング朝は断絶した。このため、諸侯の推挙により、フランス公兼パリ伯で、ロベール家の出身者であるユーグ・カペーが国王として推挙され、フランス王として即位することとなった。

しかしカペー朝は国王の権力基盤が非常に弱く、各地に伯(コメス)と呼ばれる諸侯たちが割拠しており、さらに隣国・イングランドの王位を持つノルマンディー公家(後にプランタジネット家)による圧迫を受けてフランスの領土の大半を支配されていた。国王はパリを中心とするイル=ド=フランスを抑えるのみで、王としての権威の他にはほとんど実効的な権力をもたなかった。

そのような中で、12世紀前半のルイ6世の時代から王権の強化が始まり、1180年、カペー朝の第7代国王として即位したフィリップ2世(尊厳王)は、巧みな政略結婚や、イングランド王室での内部抗争などを利用して国王の権力を強化することに成功した。そしてリチャード1世の死後、後を継いだジョン王が暗愚なのを見てノルマンディーやアンジューを奪い、一時はロンドンまでを支配するなど、領土を大きく拡大した。また、内政においても大学の設置や人材登用など、パリの発展に尽くすなどして、その後におけるフランス王国の基礎を作り上げた。


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