
――すごく、居心地の悪い場所だと思った。
家族、絆、仲間、命。
そんなものが、壊れることを知っていたから、すごく、脆く見えてしまった。
そして、そんなものに囲まれている今の自分が、まるで、壊れてしまいそうに、思えた。
『始まりの死者』
少年は、イスに座って流れ行く人々を眺めている。
特に意味などなく、既に一ヶ月以上、同じようなことを繰り返している。
ただ、朝起きて、ご飯を食べて、そしてここに来て、日が沈むまで、眺めている。
忙しそうに電話に向かって話す人。
嬉しそうに、スキップをする人。
楽しそうに、笑っている人。
悲しそうに、顔を伏せている人。
人、人、人、人――。
人に酔ってくる。
その心の中、何を考えているのかも分からないのに、よく、そんな顔が出来る。
笑いながら怒り、泣きながら笑う。悲しみながら馬鹿にし、楽しみながら嫌がる。
そんな矛盾。凝り固まった人間の矛盾。
そんなものを、延々と見ている。
楽しいと聞かれれば、楽しいと答える。
悲しいと聞かれれば、悲しいと答える。
少年には、それに返せるだけの明確な答えなど持っていない。ただ、見ているだけだ。
そうやって、時間を潰さないと、きっとどうにかなってしまいそうだから。
そうやって生きていかないと、壊れてしまうから。
だから、少年は人を眺める。眺めて、眺め続けることしかしない。
積極性なんてものはいらないし、そんなものでこの立場を壊したくもない。
どうしてこんなところにいるのだろう。
どうして、こんなところに座っているのだろう。
分からない。どうして、理由が必要なのか、と胡乱な頭で考えた。
ただ、こうやっていることが、自分にとっての尤も幸せなことなんだと、頭が理解していた。
そうやって、どのくらい見続けていたのだろうか。
目の前に、綺麗な女の人が現れた。
金色の髪に、紅い瞳。日向みたいに、優しい臭いがした。
「どうしたの? こんなところで」
「人を見ています」
「楽しいのかな?」
「分かりません」
棒読みのような台詞にも、女の人はしっかりと頷いてくれた。
「そっか、分からないか。じゃあ、分かるまで付き合おうかな」
「遠慮します」
今日はこれで終わりだ。
少年は立ち上がり、最後に、彼女の瞳を見つめた。
「……やっぱり」
「え?」
「そんな哀れみの視線を向けないでください。そして、少しでもどうにかしなくちゃと思って、笑い顔の仮面をつけるのも止めて下さい」
そんなに、哀れなのか。
孤児だから、施設育ちだから、誰にも相手にされないから。
そんなにも、そんなにも、そんなにも。
「失礼します。お姉さん」
律儀に挨拶をして、少年は歩く。
時々、考えることがある。
僕は、どうして生きているんだろう、と。
僕は、どうして死んでいないんだろう、と。
あの時、家族と一緒に死ぬことが出来ていれば。
いれば、どうだったというのだろう。
例えば、父親にアイスを買ってもらって、はしゃぐ、歳相応な反応を見せる少年になっていたのだろうか?
例えば、母親に怒られて、泣いてしまう子供になっていたのだろうか。
ただ、ここは、自分の住んでいる場所と根本的に違う。
そんな、当たり前のものを与えられたことがないから、分からない。
そんな、普通なら体験していることをしていなから、どうして、笑って、泣いて、怒って、生きていけない。
だけど、苦労してるねと、同情だけは嫌だった。
理解なんて出来ないのに、理解なんて無理なのに。まるで、自分こそが全ての味方だと言いたげなその態度が、嫌だった。
だから、誰とも接しない。誰とも話さない。どうせ、同情しかされないから。
そんなものは欲しくない。
いや、本来ならば何もいらないんだ。
だけど、ここに生まれて生きている。
誰か、その意味をここに。
生きる目的を、教えてくれ。
子供だから、理解出来ない。子供だから教えたくない。子供だから何も知らなくてもいい。
もう、聞き飽きたんだ。
「……」
笑っている人間を見て、居心地の悪さを感じる。
まるで、お前には手に入らない過ぎたものだと、言われている。
まるで、お前には与えてやらないと、神様に言われている。
ああ、と少年は頭で頷く。
それでもいいや。このままで終われるのなら。それで、いいや。
少年は歩き出す。幸せなどどこにもない世界へ。楽しみなどない世界へ。
そして、感情がなくても文句が出ないところに。
目指して、歩いていく。
そこでなら、きっと自分は、自分の命が許容出来て、生きていてもおかしくないって、納得できるから。
そこに、行ってみたい。そこを、見てみたい。そこで、暮らしてみたい。
それだけが、人間を見続けている理由だった。
からん、と目の前に凶器が落ちている。
施設の調理室。既に声を掛けることすらしなくなった大人達を見ながら、ゆっくりと、人を殺せる凶器を見ていた。
……それで、なんとなく、分かった。
目指している世界は、生きている限りでは決して手に入らない。何故なら、生きているからこそ、全て必要なものだから。
だから、目指す世界のためには死ぬしかない。
誰よりも早く、その凶器を拾った。
鬱陶しそうに、見られる。
「これ、借ります」
声を掛けて、外に飛び出す。
走って、走って、走って。
何処に向かっているのか分からないけど、走っていけば、必ずつける。
だから、息が切れても、靴が脱げても、走った。
ここだ、と思った場所は随分と遠い、森の中。きっと、半日以上走り続けていた。
空は、夜。暗闇が、少年を優しく包み込んでくれる。
まずは、ゆっくりと息を吸った。
生きていると分かる。心臓は高鳴り、肺は動き、空気を取り込んでいる。
……そう、それに、吐き気がする。
どうして生きているのか、どうしてこんなところにいるのか。
何処の誰も教えてなどくれなかった。
知りたいと思っても、誰も教えてくれなかった。誰も自分をいないものだと扱った。
だったら、気づくのが遅かったのかもしれないけど、自分は、既に死んでいるのだと。
死んでいるから、こんな世界に居場所がなかった。
死んでいるから、誰も自分に気づかなかった。
ああ、でも、今日のお姉さんは、もしかしたら、こちらのことを、少しだけ見えていたかもしれないな、と考える。
そろそろ、生きていることが億劫になってきた。
握り締めて、手が切れていたが、構わず凶器を握る。
細長いもの。いつもはこれで、人の生きるものを作るもの。
食料を、料理にするための道具。
だから、今度は、間違ったものを正しいものに戻すために。
綺麗な、流星が流れている。
流れている間に、願い事を三つ言えば、叶うらしい。
だから、少年は剣を振り下ろしながら、呟く。
「死ねますように、死ねますように、死ねますように」
鈍い音。凶器は確かに、体を切り裂いた。
だから今度はそれを横にずらし、抜いた。
体の中を覗き込む。
生きている人の体。
だから、気持ち悪かった。
死んでいるのに、生きているから。
だから、ずっと気持ち悪くて。
だから、誰も知らなかった。
これで、正しい状態であれる。
これで、やっと正しいことが出来る。
……まず、正しいこととして、何をしよう?
正しいこと、それは、家族と一緒に暮らすこと。
正しいこと、それは、笑っていられること。
正しいこと、それは、ずっと生きていけること。
ああでも、死んでいるのに、生きるというのは、おかしいのかもしれないな。
いつもは何も考えられないのに、今だけは、色々なことを考えられた。
ああ、正しくなろうとしているから、きっと、全てが正しくなるんだろう。
眠く、なってきた。
最後に、またしても流星が流れている。だから、少年は願う。
「死ねますように、死ねますように、死ねますように……」
それは、希望を届ける流星に、願った唯一つの想い。
それを、果たされることを期待して、少年は眠りについた。
痛い、とそれだけを感じた。
目を開けると、白い天井。
死んだのだろう、そう思い、顔を上げた。
すると、金色の髪をところどころ紅く染めた女の人が、眠っていた。
それで、分かってしまったんだ。
「……ああ、生きているんだ」
ただ、その事実だけを呟くと、近くにあった果物ナイフを掴んで、手首を掻き切った。
噴出す血、それが流れ出るたびに、気持ち悪さが抜けていく。
「……あ」
気づかれた、と思う。
「止めないで、ください」
だけど、聞いてくれなかった。必死になって傷を抑えようとする。
「……」
そうだ。これが、生きているということ。
自由を謳いながらも、誰もそれを得ていない。
だから、嫌だったのかもしれない。
だけど、自分は。
「僕は、もう死んでいる。だから、正しい状態に、死んでいる状態に、戻して……」
「そんなことはない!!」
焦点すら合わなくなった目で、確かに、捉えた。
泣いている。関係もないのに、何一つ、得をすることなんてないのに、確かに、女の人は、泣いている。
「死んでる人なんていない! それは、まだ自分が始まっていないだけ!」
自分って、何だろう?
自分、考えてるこの思想か。それとも、肉体を支配している頭脳か。
「だったら、まず、死んで。それから、生きる……」
「今、君は死んだの! これからは、新しい君で生きるの! だから、もう、自分を追い詰めなくてもいい! そこまで、自分を傷付けなくていい!
そんな君はここで死ぬの!」
……そうか。死ぬのか。
こんな、自分は、死ぬ、のか。
「……よかった」
そう呟いて、最後まで壊れたままの少年は、眠った。
「……懐かしい夢、か」
少年は少年のままだ。しかし、死んだと思って、新しい自分を始めることが出来た。
もう一度、生きることを始められた。
そう、確かに、あの頃の自分は既に死んでいる。死んでいることが正しいと思う、そんな自分はどこにもいない。
だから、今は生きていく。
どこまでも。出来る限り、この胸にある想いが、消えない限り。
――願わくば、新しい僕に、優しい光を。
光色の髪を持った人は、優しいということ、家族ということを、教えてくれた。
大丈夫。今は、きっと。
「エリオ君? 起きてる?」
だから、走ろう。
「うん。ありがと、キャロ」
守りたいと、思った人と、一緒に。
『始まりの死者』、お送りいたしました。
ちなみに、書いていた俺は結構ノリノリでした。……駄目だろ、おい。
一概に全て、とは言いませんが孤児というのは、果たして幸せなのでしょうか。家族を全て失った中で、世界には家族を持った人がいっぱいいる。
俺ならば不良になりますね、ふざけるなよ、って感じに。
なので、エリオ君の過去をでっち上げてこれを書きました。
世界を諦めていた人は死に、その代わりに、その人からのたった一つの希望を受け取りました。心の切り替えのつもりなんですけど。あそこまでいくと、別の人間だと、そう認めてしまったほうが楽なんじゃないかと。
実際のところ、どうなんでしょうね? 彼は、幸せだと笑って死んだのか、これからのことを羨んで死んだのか。作者自身も、ちょっと判断がつきません。
でも、そんな思いを受け取ったかれはきっと生きていくことでしょう。
……うっわあ、素面で真面目なことを書くと体中にノイズが!!
とにかく、そんなわけで初短編をお送りいたします。
……しかし、初めてでこの暗さってどうよ(笑)