
※アメリカ海軍制式の早期警戒機E−2C「ホークアイ」
アメリカ海軍では空母艦載用早期警戒機としてグラマン製E−1「トレーサー」を配備したがその後継機として開発されたのが同じグラマン製のE−2「ホークアイ」 である。初飛行は1960年10月で最初の生産型であるE−2Aは1964年に部隊配備された。搭載コンピューターをデジタル化したB型は1967年、更に レーダーの探知性能を向上させたC型は1972年より部隊配備された。C型はその後も改良が続けられ今もアメリカ海軍や親米国で運用されている。
※昭和51年に起きたミグ25函館空港亡命事件
日本で具体的に早期警戒機AEWの導入が検討されるきっかけになったのは昭和51年(1976年)9月6日、共産党政権に否定的なベレンコ中尉操縦の
旧ソ連軍の戦闘機ミグ25が低空から日本領空に侵入し函館空港に亡命した事件であった。
当時、航空自衛隊には早期警戒機は配備されておらず低空から侵入したミグ25を補足する事が出来なかった。
このミグ25亡命事件以前にも航空自衛隊の中には地上レーダーの限界から早期警戒機の導入を求める声があったが、限りある予算の中で
は戦闘機や地対空ミサイルが優先して予算化され早期警戒機の実現には程遠い状況であった。
ミグ25事件はあらためて低空からの侵入機に対して地上レーダーでは補足する事が困難であると証明する結果になった。
早期警戒機の最大の利点は
地上レーダーでは実現不可能な高高度でのレーダー観測が行える点にある。地球が球体の為、ほぼ直進する
レーダーの電波は水平線の下側に隠れた目標を探知する事は出来ない。しかし、高空を飛行する早期警戒機はその地上レーダーの”死角”
を探知する事が出来る。また、レーダーは設置地点の高さが高いほど探知距離が長くなるがこの点でも早期警戒機は地上レーダーに比べて有利となっている。
ミグ25事件は早期警戒機の重要性を関係者に強く認識させた。事件の翌年から早期警戒機の調査・選定作業がはじまり昭和53年8月にアメリカ海軍の 空母搭載型のグラマンE−2C採用が決定された。皮肉にも米ソ冷戦時代、当時の自衛隊にとって最大の仮想脅威であったソ連軍戦闘機亡命事件によって早期警戒機の 導入が実現する事になったのである。
昭和58年2月に1,2号機が三沢基地に到着。同年11月に臨時警戒航空隊と第601飛行隊が発足、昭和61年4月に正式に 警戒航空隊としてスタートした。空自で採用されたE−2Cはグループ0というC型初期生産型に属するが更に2つのタイプに分類される。
・1〜4号機 長距離捜索レーダーAPS−125装備のグループ0前期型
・5〜13号機 レーダーを性能向上型APS−138に換装したグループ0後期型
(※なお、1〜4号機は後にレーダーをAPS−138を換装し後期型仕様になった)
E−2Cは合計13機が調達されたが、AWACS空中警戒管制機E−767の導入により全機が 三沢基地の第601飛行隊第1飛行班に配備されている。今後も当面はE−767との共同運用が行われるが搭載レーダーやコンピューターの近代化により アメリカ海軍のE−2CU「ホークアイ2000」に準ずる性能向上が予定されている。
製作
・機体:米国グラマン社(現:ノースロップグラマン社)
・エンジン:米国アリソン社
全幅24.56m
全長17.6m
全高5.58m
自重18.36t
最大離陸重量24.68t
エンジン:ターボプロップ2基(搭載エンジン:アリソンT56−A−427)
出力:5.100shp×2
最大速度620km/h
巡航速度500km/h
航続距離2.800km
飛行時間約6時間(哨戒時間約4時間)
主要搭載装備
・長距離捜索レーダーAPS−138
・逆探装置ALR−73
・データリンク装置ARC158、ARQ−34
乗員5名(パイロット2名、ミッション・クルー3名)