
73式装甲車は60式装甲車に次ぎ国産開発された戦後第2世代の兵員輸送用装甲車である。
60式が制式化された直後には三菱重工や小松製作所で早くも次期APCの模索が始まっており三菱ではアルミ装甲を採用した社内
試作車を昭和40年に完成させ各種の試験を行っていた。米軍ではアルミ装甲を使用した装甲兵員装甲車M113を1960年に
制式化しており三菱社内試作車はこれに大きな影響を受けていた事は確実である。鋼に比べて軽量化出来るアルミ装甲は空輸や渡河作戦
を重視する米軍にとっては魅力ある技術であった。
防衛庁は昭和41年度に次期APCの開発を正式に決定し翌42年度からは部分試作が開始された。当時は国産兵器の開発は数社による競争が普通であったが次期APC
も三菱、小松そして日立による三社競争となった。
この部分試作では三菱にSUTと呼ばれる部分試作車が発注されている。SUTはエンジンが三菱製、自動変速機が日立製、キャタピラが
小松製と競争各社による合作というやや不思議な存在でもあった。SUTが三菱に発注された事により次期APCは競争開発とは
言いながら実際には三菱主導で開発が進められた感が強い。或いは予算上の制約から各社毎に試作車を発注させるだけの余裕
がなかったのか・・?
SUTは43年に完成し各種試験が行われたが特に重視されたのがアルミ装甲と自動変速機に関するものであった。
当時の日本ではこの二つの技術は未知の領域と言っても差し支えなく批判的な意見も多かったらしい。アルミの溶接も全くの手探り
状態であったと聞く。当時は西ドイツでも各種装甲車両が国産開発されていたがアルミ装甲は採用されず往来と同じく均質圧延鋼板が
使われていた。日本はアメリカの影響が大きかった事を実感させられる。また、アメリカは大戦中に既に軽戦車M24に自動変速機を採用
していたが、陸自草創期にこれを見た旧軍出身者や技術者は驚愕したと伝えられる。日本でも自動変速機の開発は進められたが
その過程は苦難の連続であった。SUT開発時でも自動変速機の採用に関して三菱は消極的だったらしいが日立技術者の努力により
実用化された。
SUTによる部分試作の結果を経て昭和44年度には全体試作に移行する。
全体試作車はSUBと命名され三菱(SUB−T)と小松(SUBーU)に発注され同年度末には防衛庁が受領している。60式装甲車
の運用実績を踏まえた上でのSUBの基本的な要求は
@アルミ装甲
A機動力の向上
B搭乗兵員数の増加
C浮航能力の付与
D乗車戦闘力の付与
ENBC防御の付与
等であった。
| 三菱全体試作車SUB−T | 車内から操作出来るリモコン式12.7mm重機関銃、アルミ装甲、自動変速機、乗車射撃用ガンポートなどの新技術を採用しているが 運用面から見れば60式装甲車と同じく"戦場のタクシー”と称される兵員輸送用装甲車APCである。手堅く纏めた設計と言えるが 実用成績は良好であった。 |
|---|---|
| 小松全体試作車SUB−U | 小松のSUB−Uは箱型車体を採用した点ではSUB−Tと同じであるが20mm機関砲を装備する本格的な砲塔を備えており機械化 戦闘車の走りとでも言える存在であった。SUB−Uは不採用となったが昭和45年頃の日本でこのような機械化戦闘車が試作されたことは画期的であった。 |
※制式化後にラインメタル製20mm機関砲の搭載実験が行われている
結局、三菱案が採用され73式装甲車として採用されることになった。小松案は次期早々、ということであったのだろうか・・・
同時期に制式化された74式戦車では油圧式サスペンションが採用されており73式装甲車でもこれを搭載した実験が行われたが
期待された性能が得られず量産車は通常のサスペンションになっている。また、制式化後の昭和49年頃にはラインメタル製20mm
機関砲を搭載した実験が行われた。対空射撃には有効、という評価であったが採用は見送られている。十数年の技術的な成長は目覚しく
60年代の設計である60式装甲車に比べて73式装甲車は機械的信頼性も大幅に向上した。60式は車体が小型で余裕がなかったが
その点を反省した73式は車内容積にも余裕があり乗車定員は60式の10名から12名と増加し機動力も74式戦車に随伴出来る
性能を持つ。
他方、幾つかの問題点も指摘される。
73式をはじめ70年代に制式化された国産装甲車両はアメリカの影響を受けアルミ装甲を積極的に採用した。しかし、中東戦争やヴェトナム戦争の戦訓で
火災による高熱で強度が急速に劣化してしまうアルミ装甲は評価が下がった。アルミ装甲を採用せず一貫として均質圧延鋼板を使用したドイツに先見があったようだ。
因みにアメリカでは今日でも新型アルミ装甲の開発が続けられている。日本では80年代以降に制式化された車両は再び均質圧延鋼板が採用されている。
また、73式装甲車の売りの一つであった浮航性も実用には程遠い状況であった。1両あたりの調達価格は約1億円と60式の約4000万円より
かなり高くなっている。73式は338両が生産され主に北部方面隊の諸部隊に配備された。今日では96式装輪装甲車の配備が進んでいるが73式も
かなりの数が現役にある。
(写真下)下志津駐屯地で撮影した高射教導隊の73式装甲車
73式はT型ガンポートを持ち搭乗した隊員は車内から射撃可能だが下車戦闘が基本。60式やアメリカ製M113と同じく”戦場のタクシー”の範疇にある。
車体後部には3連装煙幕弾発射機が2基装備されている。
※浮航性について
73式装甲車は浮航キットを装着する事で限定的な浮航性を有する。しかし、キットを装着するには時間がかかり実用的とは言えない。今日ではほとんど 浮航は行われていないと思われる。
(写真左)73式装甲車の開発のポイントの一つがアルミの溶接技術の確立にあった。
(写真下)73式装甲車は60式と同じく車体前方銃を持つ。
当初はその存在を疑問視する声もあったがベトナム戦争の戦訓などから再評価する意見もある。73式は初期型では米軍供与の7.62mm機銃を装備
していたが後に国産の74式車載機銃に換装された。写真の機銃マウントは74式車載機銃用のもの。
全備重量 約13.3t 海鷲の末裔
また、乗車戦闘力を付与する目的から車体側面左右2ヶ所ずつ、及び後面2ヶ所の計6ヶ所にT型ガンポートが設置されている。
後の89式装甲戦闘車に装備された本格的ガンポートに比べると単純な構造である。
全長 5.80m
全幅 2.90m
全高 2.21m
最低地上高 0.40m
エンジン 空冷2サイクル4気筒ディーゼル
出力 300ps/2.200rpm
最高速度 約60km/h
行動距離 約300km
武装
・12.7mm重機関銃×1
・74式車載7.62mm機関銃×1
乗員 12名(4+8)