毎日が退屈な日々だった。
僕からはみんなが見える。だけどみんなからは僕が見えない。
見えない、と言うのはちょっと違うかもしれない。「見せていない。」それが適切な表現だ。
鬼と恐れられ、蔑まれるのが恐ろしかった。だから僕はこの世界から姿を消した。
でもこの世界が好きだから、自分の子孫が心残りだから、みんなから見えない所から僕は見守っていた。
だから時にこの世界に奇跡を起こしたり、時に自分の子孫に助言をした。そんな風に暮らしてきた。
もともと縁結びの神として僕はこの地に居る。最初は人と鬼とを結ぶために居た。それがやがて恋愛や絆といった縁結びの神として奉られるようになった。
でも僕はそれで満足だった。それで争いが失われていくのならそれでよかったんだ。
皆が幸せで住んでいるこの地が好きだった。
千年の時の中で僕はいろいろな経験をした。
時には自分が現世に実現し人々を導いたこともあった。でもそのたびにこの容姿が人々と僕との間に立ちはだかっていた。
でもそれは些細な問題だと言う人が居た。
だから僕は村を平和にすることが出来た。自分も幸せに過ごすことが出来た。
時にそれは鬼だという人が居た。
初めは、僕は笑って過ごしていた。笑っていることが一番大切なことだと誰かに学んだ気がしたからだ。
でも時が経つにつれ僕を鬼よ悪魔よと罵る人が増えていった。
誰か一人でも支えている人が居ればそれだけで救われる。もちろんその時にも居た。だけど、それを口にするのも憚れる状況だった。
やがてそれが争いにつながっていった。僕を神と奉る人、僕を鬼と恐れる人。
初めは些細な口論だったような気がする。だが、それが口げんかで収まらず、やがて争いへとつながっていった。
もちろん僕はそれを止めようとした。だが逆にそれが更なる争いへとつながってしまった。
だから僕はこの世から消えることにした。その代わり、争いをやめる事、そうしないと祟りを起こす、そんな言葉を遺して。
畏敬の念と畏怖の念が広がり、やがて争いは収まった。
現実から姿を消した僕が現世に干渉する方法が一つだけあった。
それは僕の血を色濃く引き継ぐ古手家のみに実現する奇跡。古手家に女児が八代続くとオヤシロ様の生まれ変わりが生まれる、つまり僕の言葉を聞くことが出来る。
それが僕と現世を結ぶ唯一の方法として、僕は古手家の巫女を通じ、雛見沢にいろいろなものを作った。
とは言ってもそれは大したことではない。神の世で知った効率的な作物栽培といったことなど。
やがてそれが梨花との出会いになった。
僕は梨花にいろいろなことを教え、伝えてきた。
でもそれは梨花が梨花として生きるために必要なことだけを教えてきたつもりだ。
村はもはや僕の手助けなど必要ない。もう独立して歩んでいけるようになったからだった。
だから僕は梨花との人生を楽しもうと思っていた。
それがあの出口の無い惨劇への入り口――――――
目の前にいくつかのカケラが浮かんでいる。
これは鬼隠し。これは罪滅し。
僕のカケラは梨花のカケラと比べて歪みが無い。それはこの世界に長く居るからだと思う。カケラの遺し方も覚えたと言うことだろう。
でもどのカケラも辛いものばかり。皆が苦しみ、悲しむ。そんな物語ばかりだ。
もう、疲れた。カケラを紡ぐのにも。全てを受け入れるのも。
いくら紡いでも糸にならない、繋がらない糸のようだ。
目の前に先の見えない暗闇が続く。
それは終わりが解らない。どちらに歩けばいいかすら解らない。
「……ぅ、……にゅう、羽入?」
暗闇の空から声が降ってきた。それはどこか懐かしい声。とても優しくて温かくて頼もしい感じ……。
僕はその声のするほうへ向かっていった。
眩しい光が目に痛かった。そして急に現実の空気が僕の肺を満たす。
僕は混乱する頭で辺りを見回していた。あれ……? ここは?
目を開けると見慣れた風景が広がっていた。それはこの百年いつもいたところだった。この千年、ずっと見守っていたところだった。
遠き昔の夢を見ていたのか…………。そうか…………。良かった。
「おい、羽入、どうしたんだよ。居眠りなんて珍しいな。」
目の前に居た圭一がそういう。沙都子や梨花もどこか心配そうな顔をしていた。
僕はどうしていたんだっけ? あれ……ええと…………。
ああ、そうだ。最近、夜寝つけなくて、授業中に眠気が襲ってきたんだった。そして少し机に伏せってしまったら寝てしまったんだった。
圭一がなぜ僕の前に居るのか。別にそれが不思議なことではなかった。それは先生が低学年に手がかかってしまう。だからどうしても僕達には手をかけられなくなる。
その代わりに圭一たち上級生が僕たちに勉強を教えていたりする。
でもちょっと目の前に圭一が居て心強かった。
僕はぼんやりと圭一の顔を見ていた。
ちょっとした居眠りで時の闇に引き込まれそうに感じてしまった。そこから連れ戻してくれたのが圭一の声だった。
「ど、どうしたんだよ、羽入。俺の顔に何かついているか?」
僕は頭を振る。圭一は「変なヤツだな。」と微笑み、沙都子に説明を続けていた。
僕はその後の授業もどこか集中できなかった。なんだか心が重たかった。解りやすく言えば、不安だった。
何に対してとかじゃなくて、とにかく不安だった。
その不安は学校が終わっても消えることが無かった。
今日は僕が買い物当番なのでセブンスマートまで買い物に行くことにした。
頭には梨花が買ってくれたキャメル色のキャスケットをかぶる。それはお洒落のためというより角を隠すために。
みんなはこれを見ても恐れず、むしろ可愛いといってくれる。でもそれがみんなそうだとは限らない。だから帽子で隠す。
僕は目当てのものを買い、帰り道をゆっくりと歩く。
本来ならば自転車で行くべきだったのだが、歩きたい気分だったので、のんびりと景色を楽しみながら帰る。
あの水車……新しくなってるな……。あの場所に水車を作ったらいいって何年前に言ったんだったっけ…………。
辺りを見回すと昔の面影もところどころ残っていた。それがなんだか嬉しかった反面、更なる不安に駆られた。
何でこんなに不安なのだろうか…………。
胃の中に鉛が詰め込まれたように胸が重く、苦しかった。
毎日はとても楽しい。先生も時に怖いけれどとても良い先生だ。時の摩天楼に閉じ込められても居ない。
僕は小さく息を吐く。
そんな時だった。
「どうしたよ? ため息なんてついて。」
!!
不意に声をかけられたので驚く。
その声の主は圭一だった……。
「別になんでもないのですよ。梨花がシュークリームを買ってはいけないと怒るからちょっと憂鬱なのです。」
僕は笑いながら嘘を並べた。
「それならこれでも食うか?」
そう言って圭一は袋からドラ焼きの袋を取り出す。
よくみると圭一の自転車のかごにもセブンスマートの袋があった。圭一もお遣いの帰りだったのだ。
圭一は僕にドラ焼きを一つ渡してくれる。その温かさがじんわりと手に伝わってくる。
「ありがとうなのです。」
僕は圭一に微笑みかける。本当にちょっとしたことだったけれど嬉しかった。
圭一もドラ焼きを一つ取り出す。そしてドラ焼きをかじりながら夕焼け空の下を歩く。
焼きたてのドラ焼きだったので香もよく、とても美味しかった。アンがとても甘かった。
隣をみると圭一はアンが舌にくっついた様で熱い熱いと騒ぎながら飛び上がっていた。
僕はそれを見て笑いながら言う。
「でも良かったのですか? お使いの品だったのではないのですか?」
「いや、帰りに羽入を見つけたからさ、二つ買ったんだ。ほら、出口に屋台があっただろ?」
圭一は僕を見てドラ焼きを買ったというのだった。何よりその心遣いが嬉しかった。
それが僕の不安を見越してのものかはわからない。
圭一がアンのくっついた舌を痛そうにしている様子からそれが解っているとすら思わない。
でも僕はくすくすと笑う。
あれ?
いつの間にか胃の中の鉛が、不安が消えていた。胸が軽かった。それどころか胸が高鳴っている気さえした。
「なあ、何か悩んでいるのか?」
「え……?」
圭一の問いがわからず、僕は一瞬躊躇する。
そしてその圭一の問いの意図が解り、笑顔で返す。それが一番の答えである気がしたからだ。
さっきまで自分でも正直何に悩んでいたのか解らなかった。でもなぜかその不安のわけがわかった。
「言いたくなかったらいいんだけどな。今日、羽入すごい不安そうな顔をしてた。気になったから……。」
圭一はそう言って俯く。
圭一はわかりやすい。思ったことがすぐ顔に出るし、言いたいことがすぐ行動に出る。
だから圭一は本気で僕を心配してくれていることがわかった。
しばらく僕たちは無言で歩く。
そして数分経った頃、僕はその静寂を破る。
「怖かったのです。」
「え…………。」
圭一は僕のほうを見る。
「僕は角がある。圭一たちはそれを僕の長所として見てくれる。でもそう見てくれない人も居るかもしれない…………。」
「な…………そんなこと!!!!」
圭一は声を荒げようとする。僕はそれを遮るように頭を振る。
「あるのですよ…………。それが人の世ですから。」
「でも羽入を傷つけるやつがいたら俺が思い知らしてやる!! 俺が守ってやる。」
僕は圭一に微笑みかける。そして少し厳しい顔をする。
「そして……争いが起きるのです…………。」
圭一は僕の言葉に驚いた様子だった。そんなつもりで言ったんじゃないって事は僕も圭一もわかっているはずだ。
でもそのちょっとした行動が争いを生む、それをこの千年で知った。
でもその圭一の言葉は嬉しかった。
僕を守るという一言が僕を支えてくれる。それだけで涙が流れそうだった。
今、僕は不安ではない。
それは支えてくれる人が居るということを思い出したからだ。
魅音が、レナが、沙都子が、梨花が、そして圭一が信じてくれている。
それだけで不安になるなんて事、なかったんだ。
圭一は僕の一言で考え込んでいるようだった。それは自分の軽はずみの行動が争いにつながるなんて思っても居なかったからだろう。
僕はそんな圭一を見ながら声をかけた。
「……圭一。……ありがとう。」
「え…………。」
圭一は頭を上げる。
「実はさっきまでとても不安だった。貴方が話しかけてくれるまで。でも圭一と話していくうちにそんな不安なんてどうでもいいことがわかった。」
圭一は黙っていた。
「圭一。」
「ん?」
「もし、僕が…………僕に何かあったら…………楯になって欲しいのです。それは僕の身代わりになってくれと言っているわけじゃなくて…………、僕の支えになって欲しい。」
きっとこの世界でもこの帽子の下の角のことでいろいろ言われる。蔑まれる。それは必然だ。
でも誰かが支えになってくれたなら、それだけで僕はそれに耐えることが出来る。
圭一は少し考え、言った。
「ああ。もちろんだ。俺は羽入の楯になる。支えになるさ。」
なにも考えずにすぐ出た言葉なら僕は圭一を軽蔑しただろう。でも圭一は少し考えた。
きっとそれはなる、ならないではない。楯の意味を考えてくれた、そう思う。
僕たちはまた歩いていく。
「ふふ、梨花や沙都子が圭一のことが好きなこと、良くわかりますです。僕も…………負けませんです。」
僕は呟く。
「何を負けないんだ? 俺も負けないぜ〜?」
やっぱりわかっていなかった。でもそれが圭一のいいところだったりする。もちろん短所ではあるのだけれど。
それがちょっと寂しかったり悔しかったり、でも嬉しかったり恥かしかったり。
こんなに胸が高鳴るのは久しぶりだ。
「そろそろ暗くなりそうだな。羽入、後ろに乗れよ。」
圭一はそう言って僕の買い物袋をかごに入れる。そして自転車の荷台をポンポンとたたく。
僕はその荷台に腰掛ける。
「よし、しっかりつかまってろよ。」
「え…………、あぅあぅあぅ!!!!」
急に圭一が発進したので僕は振り落とされそうになったが、圭一の腰に手を回し何とか助かった。
圭一の後姿を見て、頬がほころぶ。腰に回した手が圭一の存在を示す。華奢そうに見えるのだけどやっぱり頼もしい。
なんだかすごく落ち着く。心を大きな木に支えてもらっている、そんな気さえした。
僕は空を見上げる。太陽がきらきらと光る。僕たちの後ろに長い長い影法師を作る。
番いの雀がくるくると舞う。夕焼けが辺りを茜に染める。
白い雲が茜色に染められて浮かぶ。きっと明日も変わらず楽しくなるだろう。
そしてこの胸も変わらず高鳴るだろう。
僕は帽子を押さえながら願う。
またあしたも楽しくなりますように。
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