すでに述べたように、 「無外流真伝剣法訣」を心法の書として解説を試みているのが、大森曹玄、中川申一、戸部新十郎らです。
ここでは、戸部と大森の解釈を確認してみます。
「兵法秘伝考」(戸部新十郎:平成7年)
「氷壺(水晶で作った壺)は透き通っているので、影像は映らない。影や形に捉われると、水に映った月影さえ、本当の月と見誤る。無知な猿など、月を取ろうとして池に落ちて死ぬ、というたとえがある。無心無欲ではじめて、ことの真偽がわかるものだ。」
「剣と禅」(大森曹玄著:昭和41年)
「氷壺は心の清いことの形容だから、この語は透きとおって影のない無心の状態をいったものであろう。こういうものは、猿が水中の月を捉えようとするのと同じく、全く処置なしである。いかなる相手も手の下しようもあるまい。しかしまた、そういう心境でおってこそ、水の月を写すように、相手の動きはそのままに感応するのであろう。」
つまり、戸部新十郎も大森曹玄も、「無心」でいてこそ敵の動きを「感応」できるのだから、幻影に惑わされることなく無欲な心境を目指すべきである、と「十則」に書いてあると主張しています。
確かに「猿猴捉水月」には、目先の幻影に囚われると言う意味はありますが、この解釈であれば、「水月」が幻影に囚われるという意味だけしか説明していないことになり、少々疑問が残ります。
我々が調べた限りでは、やはりこの解釈とはかなり異なる意味が確認できました。いくつかの史料で「水月感応」についての記述を確認できていますが、ここでは無外流宗家である都治家の関連史料に注目します。地方の師範によるコメントの信頼性を疑うわけではありませんが、とりあえずは宗家の伝承内容で考えるのが妥当だと考えるからです。
前述した高田隆介の記述によれば、都治資幸が弟子たちに「水月感応」を教授したときの描写の中に、つぎのような事実が書かれています。なお、これらは、同じ場面で言ったわけではありません。
@.まず先をとるべきこと
A.重要なのは、刀法の動作解説らしきコメントが一切無いこと
B.都治資幸が「水月感応」を教授するときに、「色二就クマジ」と言っていること
C.また別の場面では、「拍子ニ就クベカラズ」と教えていること
D.また、都治資幸は弟子たちの前で猿の真似をしながら、愚かな猿は水面の月を覗き見る(猿猴愚痴ニシテ水月ヲ窺ウトソ示サレヌ)が、そうした行為は相手の影響を受ける(色ニ就ク)ので駄目だと教えていること
これらの事実を考えれば、次のようなことが読み取れます。
まず「水月感応」は刀法ではなく、心法として教えられていたことです。
さらに、戸部や大森らは、己が敵を「感応」することが目的だと主張していますが、そうではなく、むしろ敵に「感応」されないことの重要性を述べていることがわかります。
都治資幸が猿の真似をしていたのは「猿猴捉水月」の説明ですが、ここも「幻影に囚われていては破滅する」という従来の教えとは異なり、「水面に意識を集中したら、己の心が敵の色に就いてしまうので、水面を覗き過ぎるな」というのが正しい解釈のようです。

月之抄(芳徳寺所蔵)
柳生三厳(十兵衛)が著した
剣術書。祖父・石舟斎、父・
宗矩から続く柳生新陰流の
集大成とも言うべき書である。 |
ここで、「色に就く」「拍子に就く」という新たな表現が出てきました。
「色」とは主導権を握るためのあらゆる手段のことで、前述した「水月之構」で敵に「晴眼之太刀」を見せることも「色」ですし、大声や奇声を発して敵を萎縮させるようなものまでも「色」に含みます。
例えば、柳生三厳の「月之抄」には次のような説明があります。
色に就くとは、表裏、仕掛け、切掛け、はたらき掛けなり。是に敵の心うつるところをもって、色に就くなりというなり。色に就き、色に就くるなどという心持ちあり。色に就くるというは、我が色に敵を就くるなり。色に就けば、就けるなり、声を掛けても、一巡りくるりと巡りても同じ事の心持ちなり。色に就きは、はや就きたるなり。色に随うというは、敵色々つき、切出す色に随うべきなり。随わずして勝つというは、敵を我が色に就けて、敵切出す色を能くうけてその色に随いて勝つところは、随わざるの心なり。
ここには「色に就き、色に随う」という極意が説明されています。「色に就く」と「色に随う」で使われる「色」の定義は同じですが、「色に就く」主体は、(仮に餌(「色」)をまく主体が敵だとすれば)敵にまかれた餌に反応する己の心であり、「色に随う」とは、色に就いて動かされる己に応じる敵が主体になります。これは、尾張柳生では「転」(まろばし)と呼ぶ極意に通じます。
けっきょく、「色ニ付クマジ」とは、敵のまいた餌に己が心を動かせば、敵は「色に随」い主導権を握ってしまうので、敵の誘いに動揺して敵に「感応」されないようにしなさい、と言っているのです。

柳生三厳の墓石(芳徳寺)
|
「拍子ニ就クベカラズ」とは、たいていの剣術流派に共通の論理で、例えば宮本武蔵の「背く拍子」(「五輪書」)や柳生新陰流の「合う拍子はあしし、合わぬ拍子をよしとする。」(「兵法家伝書」)と同じです。敵の動きを「感応」する以前の問題として、敵の拍子に合わせないことで敵の動きを封じるという理屈です。
「猿猴捉水月」が「幻影に囚われるな」という解釈だけではないことは、「氷壺」という単語が登場していた時点で予想できていました。しかしながら、それだけで留まっていては今までの単語ゲームと同じであり、こうして史料で裏付けることで、はじめて本質が理解できるようになるのです。
Back(第20回)<< 噴火の章メニュー >>Next(第22回)
|