地元のお寺と伊興(いこう)七福神

 私の地元一番のお寺は やはり西新井大師である。牡丹が有名で開花時の4月後半には そこそこの人出となる。     

 暮にも熊手市等催し それなりの人出で有ったが 正月の初詣には 60万人程の人出で賑わう。 

    

西新井大師の初詣の賑わい 

暮の熊手市

 今年も元旦に年賀状の投函方々 女房と初詣に出かける。人員整理にお巡りさんが出て必死に誘導している。          

 本来 参道から入って脇に出るのが筋だが 入場者を待機させる場所として脇道を利用し蛇行させる。          

 お賽銭箱の前に着くのに30分余を要し 1520秒で押されるように階段を降りる。

          

近くには 大師に次ぐ 二番、三番のお寺はなさそうであるが 伊興七福神巡りがあると言うので自転車を転がしてみた。


(常陸国住人)

各寺の位置関係を書いてみました。

一番下が西新井大師東急がここまで来ています。

法受寺の辺りが東伊興町で、寺が沢山あるようです。

赤で示したのが七福神の寺です。

源正寺恵比寿天

福寿院寿老人 福禄寿

実相院大黒天 弁財天 毘沙門天

法受寺布袋尊

です。

最後に出てくる東岳寺は青で示した所です。
ほぼ、一直線に並んでいますね。

筆者の内藤さんの家は、西新井大師西駅から左へ
200mほど、本当に、ご近所の七福神ですね


   もう会社も始まった5日の所為か 恵比寿様源正寺は誰も居ない。

 

源正寺本堂

恵比寿天

 お寺の名前は似た様なのが多くて困るが 1里ほど北東に源証寺がある。 お寺の名には特許権は無いのか?

 タクシーの運転手は困る事だろうにと調べると福寿院・不動院は同じ院号で 足立区内に各3個ある。どうも宗派が異なり 寺名権限は 各宗派の本山かと思われる。         

 本堂の片側は墓地、片側は庫裏、参道は直曲がっている。境内には阿弥陀菩薩像等もあり 昔は?と思われる。
 入口が大変分り難い。

 写真だけを撮り 次の大黒天・弁財天・毘沙門天を祀る実相院に参拝する。

 実相院の由来(寺の縁起などから)

横沼寺は、宝光山実相院と言い、往古、この地が沼地で地名を横沼と言うことに由来している。

天平年間行基が諸国行脚の砌、池中に浮かぶ霊木を拾い上げ、観音尊像を刻んで一寺を創立した。

源頼義、八幡太郎義家安倍貞任追討に際し、戦捷を祈誓し乱平定後十有三町の地を寄附して境内とした。
武蔵守藤原式実も堂塔と建立したが、文永元年の火災で焼失。
現在の御堂は、文永の末年、当山の中興良盛法印が再建し、明治
22年更に改築修繕したものです。

子育観音の由来は、母乳の不足に悩む人が、御供米を戴き、皆御利益を賜ったので、霊験あらたかな観音として広く一般の信仰を集めています。

 実相院と言えば 京都・岩倉で紅葉の綺麗な寺院を思い出すが こちらは木々は無いが歴史を感じるお寺で 山門の両側を仁王さん  が傘も差さずに待ち受けている。

   

山門と仁王像

  

         本尊の観音菩薩像                          本堂の中                 

 いかにも古く有難味のありそうな観音様が本堂の奥に安置されている。やはり管理人は不在。

 一室の壇上 中央に不動明王が厨子の中に鎮座まし 右に黒色 怒り大黒天 左に毘沙門天・布袋尊が飾られている。

 その下に 色紙 500円 朱印 1 100円と書いてあり、手前のテーブルに 色紙と朱印、それにお金を入れる大き目の皿が置いてある。

 近くの小学生が課外授業か 次は何処だと話しながら朱印を押して去って行く。

    

  

ここの布袋尊は何者?(答えは下に)

 弁才天は表の手水鉢の横に水かけ弁才天が何気なく置かれている。 先程の学生達は観る事も無し。


 寿老人
福禄寿福寿院はすぐ門の前である。 福聚門(観世音菩薩の福徳を得る門の意か)を潜ると正面に本堂がある。

  

福聚門                         福禄寿と観音菩薩の掛け軸

 見慣れた寿老人福禄寿が祀られている。 隣に木彫りの福禄寿と観音様の掛け軸が色を添えている。

寿老人と福禄寿

 7年程前まで 実相院福寿院で七福神をお祀していたと言うから 実相院布袋尊を含む4福寿院恵比寿様の軸でもあ るのであろうが この2寺では20で終る。

 次は 多少離れた場所にある布袋尊法受寺だが道を間違え後のスケジュールから翌日に延期とする。

 翌6布袋尊法受寺に行く。間違わずに自転車を転がすと20分と要しない。

法受寺入口

 法受寺縁起

法受寺は、普賢山新幡随院と号し、芝増上寺末寺です。

正暦3年(992恵心僧都によって、豊島郡下尾久の地に、天台宗恵心院法受寺として開創され、
宝暦3年(1753)豊島郡谷中に移転、新幡随院法受寺と称しました。

浅草の照光山安養寺と合併し、昭和10年に当地へ移転しました。

   

布袋尊とミニチュア七福神

 この地域は元寺町と称し震災後、谷中・浅草等から寺院が集団疎開し住みついた。法受寺も其の一つで歴史は古いが 当地での歴 史は75年である。

 布袋尊2m位の石造りで 面白いのは周りにミニチュア七福神がある布袋尊が担ぐ袋は右・左になっている。

 布袋尊の腹を撫ぜると ご利益がある様で ここの布袋尊もお腹も汚している。

 横に『きくばり六地蔵』がある。今の若い人達に拝んで欲しいものだ。

 明治の落語家 三遊亭円朝の怪談・牡丹燈籠は当寺の前身 谷中の法住寺が舞台の由で これの記念碑や、同じく 浅草 安養寺  から移管された徳川五代将軍綱吉の生母 桂昌院菩提寺となっている。

  

気配り六地蔵尊                         牡丹灯篭の碑

 この近所のお寺には珍しく 鐘楼が有る。車は裏口から入る様で表以上に大きな石碑がある。

    

桂昌院の墓標                    裏口の石碑

 昨日のおさらいで実相院・福寿院・源正寺と廻り写真の補足をする。見る度に新しい発見があるものだ。

 途中 門前に 安藤広重の初代墓所・東岳寺と書かれた石碑を見て立寄る。 大正末期に建立された記念碑がある。

東岳寺                          広重墓碑

東岳寺本堂

 ここの七福神巡り源正寺法受寺が加わり漸く形を成した様では有るがせめて6箇所以上欲しいが 宗派や手間隙を考えると 賛  同が得られないようである。

 今年の朱印しての巡回者は 500人にも満たない模様。                                                            

 それにしても 色紙(台紙程度) 500円は高い。地元にも沢山の古刹が有る事を知らされた伊興七福神でした。