2007/1/23(TUE)
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亡・己・利・他。
亡己
利他
瀬戸内寂聴さんの座右の銘らしいです。
人から聞いた話なので真実は?
です。
その人なりの解釈と私の解釈ですが、
己を亡くしてでも他人に利(喜び、安心)を与える…。
(天台宗の根本の教えが亡己利他(もうこりた)といって、自分のことは考えずに人様の幸せために何かすることらしいです。)
ほ〜なるほど…。
その心は
mou ko ri ta
もうこりた
…?
もう懲りた?
(寂聴さんが「もう懲りた」とおっしゃっているのではありません)
そこまで思えるほど、一生懸命になれる“心構え”で生きるということ。
ま、なかなか、自分をなくしてまでとはできるものではありませんね。
愛する人のため。
我が子のため。
ならできるかもしれません…
それも
そういう状況になってこそ始めて
自分がどういう人間かが分かる。
でも
結局
大切な友人と言えど
何かに悩んだり
困ったりしている時、
100%何かしてあげたい
傍にいたい
少しでも心を軽くしてあげたい
そう思っても
心とはうらはらに
我が肉体を差し出して100%身代わりになんてなれやしない。
自分には他にも守るべきものがあり、そこをさしおいてまで
他人のために
よりそうことなんて現実的に無理…。
ましてや
自分がそうしたところで
相手はどこまで
その全ての苦労を知ってくれるかなんてわかりません。
そうしたところで元気が出るとも限りません。
もちろんそれに気付いてくれて喜んでくれる人もいる…。
でも、何故かそうでない人もいる。
元気をだしてくれたら嬉しいけれど、なかなか難しい場合もある。
結局自分も相手に、どこかで依存しているからそう感じるのでしょう。
だから
もうこりた
なんですね。
もうこりたと思いながらも
それでも誰かを大切に思う。
大切に思いながらも
もうこりたと思えばいい。
「思いやりと割り切り」
亡・己・利・他
お互いに割り切りが必要。
依存しすぎない心が必要。
相手に裏切られたと感じたとき
自分はどうだったか。
相手の抱えられる範囲以上の助けを求めていなかったかどうか。
友人と何か心のすれ違いがあっても、まずは相手に依存する心を振り返ってみるといいでしょう。
相手にも優しい気持ちはあれどどうすることもできない環境がある。
でも心は自分を思ってくれているはずだと信じて。 |
2007/1/19(Fri)
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高熱君…。
普段から、家族の体調には気をつけていますが、強烈な菌ちゃんに好かれてしまったようです;
子供がマイコプラズマ肺炎で6日間39度40度高熱が続きました。
レントゲンでもマイコプラズマの影がハッキリ現れず、咳も殆どなく、扁桃腺による熱だと先生も思う程でしたが、血液検査を依頼してやっとマイコプラズマによる熱だと判明しました。
途中、あまりに頭が痛いと言うので、恐ろしくなりました。
うちの子は解熱剤に敏感で、以前「カロナール」という、小児には比較的安心だろうと言われている解熱剤を1個使用し、(大人は2個)34度8分まで体温がさがってしまったことがあります。(そのときは熱がさがりかけていたのに気が付かず飲ませてしまったのかもしれません。その後熱は平熱まで回復しました。)
なので、今回は先生に相談し半量を飲ませましたが数時間8度台になっただけで熱はさがらず、頭痛も治りませんでした。
その後違う小児科で頭が痛いのなら「ロキソニン」を飲んだ方が効くと言われいただきました。
この薬は、大人1錠なのですが、子供にも1錠で処方されました。
こちらの先生にも、カロナール1錠で34度台になった話をしましたら、とてもびっくりされていましたが、ロキソニン1錠、心配なら半錠に減らしてと言われて処方されました。
しかしカロナール、大人2錠を1錠飲ませただけで、低体温になるのに、大人1錠のロキソニンを子供にも1錠って…怖すぎるのでやっぱり半錠にして飲ませました。
その後すぐに熱がさがりはじめ、“半錠”で35度に。
先生にそのことを伝えるとかなりびっくりされていましたが、1錠飲ませていたらどうなっていたのかと思うと、恐ろしくて身震いがします。
それでも結局朝には39.5度に戻っていました。
今回は解熱剤を2度使っただけですが、解熱剤で熱がさがったときはいいけれど、そこから又高熱にもどるときの体力の消耗が、ずっと熱がでっぱなしのときよりも大きいらしいですね。
それでも少しでも何か食べたり水分をとったり、少しの間でも熟睡するめに解熱するのですが…。
できるだけ子供の解熱は控えた方がいいのですね。
熱は菌と戦うためにでるから、安易に解げると良くないんですね。
薬の副作用とかすごく怖くて、
子供が病気のときって、熱そのものもそうですが、薬でどうにかなったりしないかとか、合併症とか、病院での処置ミスとか、そういうのが不安です。
これからインフルエンザの季節。
インフルエンザの高熱には、使用してはいけない解熱剤があります。
バファリンなど厳禁です。
病院ではカロナールかロキソニンを処方されるかと思いますが、インフルエンザの熱に安心な解熱剤だそうです。
みなさんもご存じかと思いますが、インフルエンザが疑われるときは、安易に解熱剤や市販の風邪薬を使用しないようにお気をつけくださいね。
これから地球温暖化に伴い、新種のウィルスや細菌も多くなる…。
温暖化だけでなく、今かえるさんが危機みたいですね。
かえるが危機になると、両生類全体の危機につながり、両生類が危機になると地球規模での危機となるそうです。
もともと海外の病気だった「つぼかび症?」が日本に上陸したそうです。
人間にはうつりませんが、両生類全般に感染するらしいです。
かえるは、いろんな動物の餌であり、かえるの子、おたまじゃくしもそうです。
又、かえるは農作物などの大敵となる害虫、人間に被害をもたらす蚊なども食べますから、両生類が危機となると害虫が増え、ウィルス媒介が進んでしまう…。
生態系が大きく乱れ、やがて地球規模で深刻な状況をもたらすのです。
かえるさんを飼っている人は、かえるをひっくり返してもおきあがれないなど、異常がみられたらすぐに獣医さんに連れていきましょうということです。
そのへんに離したり、飼育水を川などに絶対流さないことが、他の両生類への感染予防につながるそうです。
ホントに、病気は嫌だあ〜
皆様もくれぐれもお身体ご自愛くださいませ。 |
2006/12/20(WED)
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商は笑にて勝なり
明けましておめでとう御座います。年末年始、皆様いかがお過ごしでしたか?
昨年度は、多くの皆様からの鑑定のご依頼、誠に有り難うございました。
鑑定を受けて頂いた皆様から、心新たに幸せへと歩んで行かれるお姿など、感謝のメッセージお葉書をいただき、呼幸も心底嬉しく、幸せな気分で一杯で御座います。
本年も皆様にとって幸多き一年、健康な一年となりますよう、心からお祈り申し上げます。
昨年度は鑑定内容によって、宿曜、タロット、数秘術、呼幸のオリジナル占術などを組み合わせ鑑定をして参りましたが、本年は新たに気学も加えてさらに詳しく、皆様の開運のお役に立てるよう只今最終調整中でございます。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
本年は節分以降、二黒土星の年となります。
今はまだ三壁木星です。
震災などは起こりやすい状況ですが、心配しすぎず、避難方法やお水やライター、お薬などの個人に避難に必要な道具だけはそろえておきましょう。
亥年の方は今年も空亡となりますので、二黒土星の亥年の方はあまり大きな動きを控えて努力に徹することをお勧めします。
さて、見出しの言葉は、松下幸之助さんの言葉。
ちょっと私の解釈は違うかもしれないけれど
目上の方、部下、はたまた家族や周囲との人間関係を、いつ何時も笑顔でこなすことが出来れば、人の才能とか自分の才能は大きく開花するのでしょうが…
がみがみつんつんしていたら、互いの神経が萎縮してしまう。
とは言っても日常で常に笑顔はむずかしい。
ことに、人とつき合う、商売をするとなると、思い通りにならずかちんとくることも多いですよね。
私は実は非常に怒りっぽく屁理屈こき。
偏屈女です。
しかしこれが私だからと、そのままの姿勢で人と接していると、小さな社会から大きな社会まで、大変嫌な事になってしまう。
人からは、
「呼幸ちゃんでも怒るの?」
などと、よく言われるけど、そりゃ人間ですからかちんときたり、なんなんそれ!
と思ったりもします。
しかし、自分の中で、ここまでは気に掛けないように、ここまでは包み込む事ができるという範囲がありますからそれまでは余程のことがない限り爆発させないのが私流です。
子育ても人間関係も
厳しいだけではなくほどよく…好きにさせてみる。
ただし、ここからはきちんと自分らしさを主張する部分ていうのは大切。
それが、例えば商売で失敗しないためには不可欠なんだということが、
「商は笑にて勝なり」
なんだと思います。
笑ってバカに見せても、大事なことはおさえておけと、脳ある鷹は爪を隠す…みたいな、ある種皮肉りかとも思いますが…。
最近思うのが、
これが父にはできなかった。
商は笑にて笑なりで、押し進めて来た結果、騙され、いいように言いくるめられ大きな負債を抱えた。
それに気付きながらも騙されていてあげる…それはある意味、優しさと同時にあった気の弱さ。
優しさと同時に強さも持っていないと守れないものがある。
しかし、父は他人様を騙す側の人間にはならなかった。
それだけは父を尊敬し、受け継いで生きると、この新年に心得てこれから歩いていこうと思います。
考えて見れば、
自分が小学生のとき、中学生をみると、とても大人に見えた。
中学生の時に高校生を見ると、さらに大人っぽく感じ、高校生になると、大学生や、働く先輩を見てとても大人に感じた。
そしてそんな時代を歩いている瞬間、親は、完璧な大人であるはずなのに、家族に見せる弱さや欠陥が許せなかった。
親なんだから。
大人なんだから。
完璧にできて当たり前。
出来ないくせに、自分たちに何かを教えようとする親に反抗心を持ちまくった。
だけど、自分が親になって…。
自分があの頃の親と同じ年代になってきて感じる。
自分があの頃に感じていた大人と、実際にその年齢になった自分はどこがどれだけ違うのだろうか。
中学や高校の頃の友人と会った時、バカな話でタイムトリップする自分。
この年齢になってもあの頃の自分とあんまり変わってないんじゃないか。
もちろん、こんな年だからそれなりに学習してきた知恵はある。
だけど、本質的な性格とか怠け癖とかバカな部分とか…。
だけど、自分の親にはこんな部分なんてないのだと、子供の頃は思っていた。
それらが分かってきて、やっと親を許せるようになってきた気がします。
だから、娘には完璧な親を気取らずに、自分のできないことまで、できる顔をせずに、だから一緒に頑張ろうと接している。
「友達親子」なんて私は嫌いだ。
弱みを見せ続けることも嫌いだ。
だけど、大人にも弱い部分だってある。
だから子供には頑張り続けるということを教えて行く。
話が脱線してしまったけれど、
完璧大人で居続ける事なんて無理。
適度な弱さ、適度な強さ、軸。
それを理解しながら、生きるとほどよく笑っていられるのではないでしょうか。
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2006/12/20(WED)
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思いこみの魔法
私は小学生の頃、いわゆる「心の病」にかかったことがあります。
小学校2年生の時でした。
症状は不眠。
それから学校に行くと、吐き気がする…。
というものでした。
とにかく、学校に行くと吐き気がするのですが、実際に吐くということはありません。
いじめられていたわけでもなく、勉強についていけなかったわけでもなく、原因は未だに不明です。
病院で検査をしてもどこも悪くはなく、自分でもどうしていいのか分からず不安と苛立ちで一杯でした。
楽しみだった映画鑑賞会の途中でも気分が悪くなり、早退…。学校もやすみがちでした。
今でこそ、鬱だのなんだのと病名をつけられるような症状でしたが、あの頃はまだ、心療内科だの鬱病などと病名のすぐ付く病気でも、そのような病院の存在さえあったのかどうか分かりません。
ただ、精神的なもの…で終わっていたような気がします。
あるとき、学校で作文を書く授業がありました。
私は思いの全てを文章にしました。
「病院に行ってもどこが悪いかわからない。
学校に行きたいのに行けば気分が悪くなる。
何故かわからなくてとても嫌だ…」と。
幸い母親が、仮病だのなんだのと、私を責めずに、向き合ってくれたので、それ以上の心の負担を背負うことはありませんでした。
先生はその作文に次のようなコメントをくれました。
「不安にならなくても大丈夫よ。もうすぐしたら嘘みたいに治っちゃうよ。それでももし、又気分が悪くなったら“大丈夫、大丈夫、私は元気、私は元気と自分に言い聞かせてごらん。言葉に出してそれを信じるのよ!」
と。
子供だったから単純だったのでしょうか。
それから私は気分が悪くなる度に自分に言い聞かせました。
すると、何度か実行しているうちに、気分が悪くなることすら一切なくなってしまったのです。
「大丈夫」
という“思いこみ”に救われたのです。
ただ、悩みなどの自覚症状はありませんでしたが、やはりなんらかの心の疲労が積み重なっていたことによって、そのような心理的体外的症状がでたのは事実です。
今、ストレスなどさまざまな要因によって、鬱症状に悩まされている方が多いです。
私も大人になってから、身内の通夜の時に、突然意識がおかしくなり、病院に駆け込みました。
すると過労と精神的な発作、パニック発作と診断されました。
後日心療内科に行くように勧められ受診しましたが、その結果パニック発作、鬱状態と診断されました。
精神安定剤をいただき、半年あまり飲みました。
初めは、私は鬱なんだ…。だから無理をしちゃいけないんだ…と
「鬱」という言葉に振り回されました。
もちろんそうでない方もおられます。薬が本当に必要な方はそれでいいと思います。
ただ、今は飲むことによって深刻な鬱が引き起こされる、「暗示鬱」も多くなっていることが気にかかります。
しかし、軽い鬱症状なら必ず完治できます。
とは言え
もちろん、気分の浮き沈みだってありますが、今は薬がなくてもコントロールできるようになりました。
生理の時の苛々だってもちろんあります。
そんな時は、レメディ(レスキュー)があれば、大丈夫。
そのように逃げを作っておけばいいと思います。
悩みや苦しみ、ストレスは人の生活から切り離せるものではありません。
幸せそうに見える人たちでもなんらかの苦労はあるはずです。
例え人にはみえなくても。
そして、ある程度のそれらは人生に必要な学びなのです。
ところで先程述べました「暗示鬱」…。
鬱の境界線は一体どこからどこまでなのでしょう。
誰しも悩みやストレスはあります。
生い立ちや親との意識の食い違いによって、自分は愛されていなかったと悩むこともあるでしょう。
本当に辛い思いをしている人も世の中には多くいらっしゃることでしょう。
反対に実際、愛されていなかった、虐待を受けていたなどとは違い、自分が親の愛を受け止めていなかっただけということもあります。
疲れで意識がおかしくなることもあります。
え? なんで私が? という人の心が疲労してしまうことも、ストレス社会ですから多くあります。
どちらにしても今は心療内科にいくとまず精神安定剤を処方されます。
鬱状態と鬱は違うものですが、鬱状態と言われても精神安定剤を渡されると、なんとなく自分は鬱なんだな…と納得してしまうことも少なくはないでしょう。
もしかしたら、私が小学生の時に、担任の先生からもらった「言葉の暗示」こそが、鬱状態に必要な治療薬なのかもしれないと思います。
大人になると子供の時にようにピュアではないので、鬱状態でも言葉だけでは簡単には治らないかもしれません。
なので、初めはお薬も仕方がないかもしれません。
しかし、軽いお薬がどんどんきつくならないように、やはり自分で自分に暗示をかけていくのもひとつの方法なのかなと思います。
潜在意識を操る訓練…。
「こうなりたい」を不可能から可能にする…。
目標をもって活力にする
。
自分の生きる力を信じてあげる。
息詰まったら一時避難も必要。自分で自分に抜け道を作ってあげる。
前向きな言葉を発する。(心で思うdけでなく口を動かすこと)
「だめかもしれない…」を言い続けていると本当にダメな方向に意識が方向付けてしまいますが、「きっと大丈夫…」と言い続けることで、クリアするアイディアが浮かび、やがて狭くて苦しい場所から、美味しい空気の吸える場所へ移行していきます。
毎日感謝する心を持つこと。
ご先祖供養とお墓参りをすすんでやりましょう。
先立たれた方々は私たちの幸せを祈りながらあの世へ行かれています。
その方達がいたから自分たちがある。
例えどんな事情があって悩み苦しんでも
自分は守護霊様やご先祖様に守られている。
自分がご先祖様のあの世での幸せを祈ることで、例えこの世で苦しんでいた人たちもあの世でその思いから開放されて光に包まれて楽になると信じましょう。
ご先祖様が喜んでくださると、私たちを守る力が強くなります。
それはご先祖様の見返りとかそういうものではありません。
ご先祖供養を怠ると、ご先祖様自体の力が弱くなると思っていただければいいと思います。すなわち、自分たちのツキを呼び込む力が弱くなる。
心が弱る。体調が悪くなるということです。
感謝の言葉とご先祖様の幸せを心から祈る…これを毎晩続けることで、私たち自身の心が強くなっていくのです。
心が強くなれば、自分の方向を見極める直感力も磨かれるでしょう。
今訪れている物事が、自分にとってやるべきことがどうか、安全と危険を見極める力が磨かれます。
そして知らず知らずのうちに、
「どうせ何をやってもダメ…」と思いがちだった心に、
「これなら出来るかも知れない…ここからやってみよう」という思いが少しずつ芽生え始めます。
目の前にある小さな問題を少しずつクリアしていくことで、その積み重ねが大きな自信に繋がっていくはずです。
無理をして頑張り過ぎなくても、心が、魂が自然とそのように導かれていくように心が穏やかになっていくでしょう。
いろいろな宗教の方がおられますが、宗派は関係ありません。
騙されたと思って続けてみて欲しいと思います。
思いこみの作用は、凶にも吉にも明らかに現れます。
思いこみによって鬱が深刻になる…。
思いこみによって心が浄化され真の強さを得る。(実際思いこみではありません。現実です)
心が穏やかになると自分が本来持つ、プラス思考が活性化され始めます。
感謝する心なしに開運法をいろいろ試しても、うまくいきません。
ご先祖供養の方法はこれだけではありませんが、これだけでも今までとは違ってくるはずです。もちろんお祓いも効果的です。
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2006/12/1(FRI)
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先日の「14歳の母」
号泣でした〜。
もう、ドキドキハラハラ…。
ああ、赤ちゃん助かりますように。
ママも助かりますように…。
いろいろあのドラマも言われてるけど、屁理屈こねずに命の大切さを素直に感じて受け
とめればいいんじゃないの?
14歳でも産んでいいじゃなくて、だからこそ、生と性を真面目に考えなくてはいけないんだって。
人生は
生きていて、嬉しいことよりも、圧倒的に悲しいことやつらいことの方が多い気がする。なのに、何故命がうまれてくることを望むのだろう…(ドラマのセリフ、こんなかんじ)
悲しいことや辛い事が100あるとしたら、1つしかない幸福にどれほど喜びを感じるだろう。
1対1よりも、100対1の方が圧倒的に同じ幸せでも貴重に感じる。
その幸せを求めて彷徨うのも又人間。
ドラマの中で、14歳で赤ちゃんを産むために命をかける姉をみた弟が
「姉ちゃんなんてバカだよ。こんなに辛いなら、赤ちゃんなんて産まなきゃいいのに!
姉ちゃんはバカだ! ねえちゃんなんか“うんこ”だよ!」
って叫んだ。(ちょっとセリフ違うかも)
そして河本?(すんませんうとくて)が
「そうだよ。“うんこ”だよ! だから守ってやんなきゃダメなんだよ!」(なんだよ〜泣けるじゃん)
て。
生きることは“うんこ”
だから全身で、自分の肉体でそのまた自分の魂を守りながら
「ああ、すっきりした。生きてて良かった!」
そう自分の一生懸命を全うしたとき、
「じゃー」っと勢いよく流されればいいんじゃないの?
軽く逃げながら、ぶつかりながら。
豆腐の角に頭ぶつけて死ぬような、勿体ない死に方はせず、せめて巨大な豆腐の中に思
いっきり両手広げてぱっしゃん! って
「おおすっきり」
みたいな、ちょっとユーモアのある生き方で苦を楽にしながら…。
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2006/12/1(FRI)
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お日様とお月様
何かに悩んだり迷ったりして、お日様の光を感じるとき、それはお月様のように直視はできないけれど、
「いちいちこっち見なくていいから、安心して頑張れ! ちゃんと俺はここから見てるから、大丈夫」
そんな風に背中を押してくれてる気がする。
そして、悲しくて泣きそうになりお月様の光を感じるとき…。
それはしっかりと月を見上げその蒼い光感じながら
「どうしてもつらいときは、ここで心をひらいて、ゆっくり休んでいきなさい。大丈夫よ。しっかり抱きしめていてあげるから」
そんなふうに、大きな愛に包まれてゆっくりと心を抱かれている気がする。
背中を押してもらって安心するときと、ゆっくりと抱きしめていてほしいとき。
わたしも…
子供や愛する人、大切な友達、周囲の人々にとって、そんな存在であれたらなと思う。
そしてわたしにとってもそんな存在は絶対に必要で…。
そういう人々の優しさや厳しさをひっくるめた愛を、素直に受け入れながら生きていきたい♪
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2006/12/1(FRI)
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ツキを呼び込むのは簡単か?
例えば
「わたしなんて」
「どうせムリ」
「あの人はいいよね〜、ついてるから」
「あの人は環境が揃っているからできるだけで、そうでない人間にはムリ」
「ついてない人間はとことんついていないよな〜」
と、ツキがまわってこない自分を弁護するような発言。
これは完全にツキを逃します。
偉そうなことは言えません。
私も1年前まではそうでしたから。
自分の夢が叶えられないのを、全部環境のせいにしてきました。
でも本当にそうでしょうか。
どこかで、自分をものすごく安全な立場においておこうとしている自分はなかったでしょうか。
よくよく考えてみるとやはり、自分を甘やかしていたに過ぎないのです。
夢を叶えた人が、地位を手に入れた人が、あるとき突然何も望まないのに大きな財を手にいれたのでしょうか。
いえいえ、その裏には、人には話さない、血のにじむような苦労があったはず。
何かを犠牲にしつつ、得たもの。
その影の部分は他人には言わない。
輝く人の光の部分しか、人はみない。
特に、
「わたしなんてどうせ」
と言っている人は、そういう部分を見ることはあまりないかも知れません。
よくよく話を聞いてみると、社会がこんなだからね。
政治家ももっとしっかりして欲しい。などと、何か別の力のせいにする発言が目立つ人。
あの人はもともと才能があったかだけだよ。
もともとお金持ちだからね。
「それが私の運命だから仕方がないと諦めている」
人がツキを呼び込む時に上記に示した考え方は絶対に改善した方がいいと思います。
開運するためには、自分のネガティブを引き起こす延々なる考え方を変えない限り、どんなにお金を払って祈願しても無駄。
どんな素晴らしい占い師にみてもらっても無駄。
「どうせムリ」ではなく、「私にもできることがあるはず」と考え方を変えるだけで、必ず何かが変わってきます。
発想の転換。
それをするためには、人と多く話すこと。
本をよく読むこと。
人?
同じ考え方の人間が10人集まっても100人集まっても、ネガティブが実現するだけで、そこに光の筋なんて現れない。
ネガティブが10人集まれば、1000人集まれば、闇が一層深くなるだけ。
そこに一人、光を刺す人間がいて、その前向きな
考え方を受け入れ実践した者からくだらない連鎖からぬけられる事でしょう。
もしもその光を素直に受け入れず、一生妬み、ひねくれるなら、その人の一生はそこで終わりです。
小さな前向きの積み重ねは必ず開花します。
なにかひとつ、前向きに事をすすめたとき、それを口にだしたとき、その人よりもさらに前向きな人がなにか知恵を授けてくれます。そして、又1歩前進する。
そして前進したとき、あなたに知恵を授ける人が、又一人増えていることでしょう。
最終目標と、全く無関係に見える人と人との繋がりが、あるとき一本の近道、タイミングを与える。
人は、自分のクリアできない問題には直面しないと言います。
クリアできる問題をクリアできない…。
どこに問題があるのでしょう。
とことんやってみて、できなかったのか。
勝手に無理と決めてかかっているのか。
そのどちらかです。
そこで、諦めがつくようなら、その課題は本命ではありません。
【今日、今からやってみよう。】
その瞬間から、あなたはツキを掴む道を歩き始めています。
どうしよう、やってみようかな。
やめとこうかな。
そう思うことがあれば、思いきってやってみてください。
やってみるうちに、新しい方向性が見えて来るはずです。
私、こっちの方が向いているかもしれない。こんなこともあったんだ。
これ勉強してみようかな。
視野がどんどん広がります。
例えやってみたことが向いていなかったとしても、やってみれる自分を発見することができます。
その自分は数か月前の自分と同じでしょうか。
中学生であれ、高校生であれ、大人であれ同じです。
ますはやってみること。
今はインターネットで無料で入る情報もあります。
図書館だってあります。
環境はそろっていないわけではないのです。
まず、できる範囲から習得していき、自分の力で未来が選択できるようになるまで(自由になるお金を貯めましょう)根気よく学習しましょう。
大きな波にのれるまで…。
そして、生きていることに感謝することです。
毎日命を有り難う。
今日も一日有り難う。
そして人に自然に、生き物に優しくしましょう。
【親が愛を教えてくれなければ、自分で見つければいいのです。】
人は人一人、自分の心であり体なのですから。
自分で自分を愛してあげればいいのです。
誰からも愛されないなんて絶対にありえません。そう考えずにはいられないほどのの苦しを味わう人が現実には存在し、それはとても辛いことですが、生きていれば、絶対にいつか、友であり、恋人であり、愛してくれる人を見つけられます。
愛される要素さえ自分で捨てなければ。
愛される要素を自分から全部捨て、「どうせ自分は世間のゴミ、愛されない」なんて、人のせいにするのはやめることです。
あなたは決してゴミなんかではありません。
今はさまざまな自己啓発の本が出版されています。
それらを読むだけでも、心に変化が訪れます。
かたくなに心を閉ざさずに、受け入れる努力も必要です。
「ツキを呼び込める、呼び込めない」のは、結局各自の心の持ちようだと思います。
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