ロンボク リンジャニ Lombok Gn..Rinjani

 2009−9月のレバラン休みを使って、一人で車を運転し、ロンぼく島へ行って、リンジャニ山へ登ってきた。 行きも、帰りもチカンペックとスマランの間は、里帰りとUターンの渋滞に巻き込まれた。
 それは、置いておき、Rinjani山の登山である。ロンボクは三回目で、一回目はSunggigi付近、二回目はGiriTerawanggan中心だった。今回は、一人なので、インドネシア人あこがれのRinjaniに挑戦してみた。余りのきつさに、登る途中に後悔し、下山途中も後悔した。しかし、終わったら満足した。

 Lombok
の東側の山の中1100mのSembalun Lawangという部落に来ています。Lembah Rinjaniというロッジに泊まっています。宿賃は1700円です。大変寒い、インドネシアとは思えない。
 ここから登るコースは西に歩いて、真北からのコースと合流する。ですから、ベースになるホテルは二か所ある。

 

 明日早朝から、登山を始めます。山の名前はRinjaniインドネシア人ならほとんどの人が知っている活火山です。3726mと聞いていますが、現在は頂上までの登山は禁止です。火口湖の外輪山で、頂上の反対側へ登ります。2700mです。富士山と違って、かなり、下から、歩きですから、二泊三日かかります。ですから、ラップトップは持って行きますが、長時間はつかえないので、グログを送れるかどうか分かりません。これは結局電波が2500m以上に届いていなくてだめでした。

 カメラがデジカメとHPのカメラですが、これもバッテリーの予備がないので心配です。ガイドとポーターと私の三人で登ります。

  パニック障害が落ち着いてすぐ、決行するつもりで、Lombokに来たことがあったのですが、その時は体力的に無理と判断し、ギリアイル、ギリトゥラワンガン辺りで、静養しましただけになった。今回はBekasiから一人で、1500km近く運転してきたのですから、体力的には大丈夫だろうと思い、多分無事に戻ってこられると思い、ちょっとした、思いきった決断です。登山者名簿はしっかり書きました。

 9月24日   

07:00前にホテルから出発した。ガイドとポーターの三人ずれである。最初の二時間はほとんど横歩き、目的の山になかなか近づかない。しかし、いったん山に向けて歩き出すと急激な登りが待っていた。ここから想像以上の難行苦行が始まった。11:00頃昼食を取ったが、ポーターが持ってきてくれた食材で、クンタンゴレンや野菜炒めに温かい紅茶つきである。休憩とその効果があってまた元気を取り戻した。

12:00から、登り始め、どんどん急坂になる。胸突き八丁の連続である。日本の山ならジグザグに登るところを一直線にのぼる。一時間も登れば、足も頭も疲れのピークになり、もう歩けない。休憩をする。また、しばらく歩く、また休憩。段々その頻度が多くなり休憩が長くなる。ガイドがこの調子では、今日、目的地に着かないかもしれないと心配していたくらいに私の疲れぐいあいは酷かったのだと思う。それでも、リタイヤをせず、とにかく、ちょっと休んでは歩き続けた。インドネシア人と欧州人だけであるが、レバランの長期休暇中なので、大勢の人が登っていた。皆さんとは冗談を云いながら、途中で休憩するときには皆さんの出身地を聞いたり、そこへ行ったことがあるとか話に花が咲いた。オランダ人がおおかったが英語で冗談を云いながら相前後して登った。疲れは皆さん共通です。

ポーターも人が良い人ばかりで、気は優しくて力持ち、平均25Kgくらいの荷物を担いで私たちのペースに気を使いながら登っている。

火口湖が見下ろせる場所が目的地だった。他の多くの人はそこから後700m高い頂上を目指して登って行った。湖まで降りてボートで遊ぶという人たちもいた。インドネシアに高いことを楽しむ階級もいることを知った。

19:00を回ったところで、真っ暗になって眠るしかなかったが、テントは防寒だし、寝袋まであるので大変あたたかい。大雪山の事故は考えられない、至れり尽くせりの状態でした。ただ、私の足が至っていない。明日の朝回復していることを期待する。

HPの電波がなく、no network状態で、今日はブログを発信できなかった。

とにかく、知っていれば、こんな困難には挑戦しなかったと思われるほどきつかった。ただし、景色はインドネシアの今までの中ではほとんど一番でした。

今度くるなら、SBYが登ると云いだして、エスカレーターでも出来れば来たい。他の日本人にお勧めしませんが、自分に弱さ、根性無しを感じている人は是非挑戦し、完登できれば大きな自信が付くでしょう。

ガイド、ポーター付きで1.6ジュタです。

9月25日  

 本当は二時か三時ごろ元気に降りて来て、直接マタラムにホテルへ行くつもりだったが、とんでもないことになってしまった。下山を始めて二時間ほど過ぎたあたりから、膝ががくがくし始めそのまま降りていったら途中から、勝手に膝が曲がってしまい、座り込んでしまうようになった。立ち上がることも、難しくなってしまった。杖を麓のホテルの人が作ってくれて、これを、持って行きなさいと、くれた。その意味が行きには役に立ったが、邪魔だとも思った。しかし、下山には絶対必要だった。転ばぬ先の杖、

とは、よく言ったもので、完全に膝が壊れてしまった私には必需品となった。

 下り道は一歩も歩けなくなってしまった。平坦と登りは問題なかったのが不思議である。しかし、もう、どうしようもないので、ポーターが気を利かせて、おぶって降りてくれるというので、お言葉に甘えて下りだけは、お世話になった。予定の時間を大幅に超過し、ホテルまで、四キロのところで、ホテルに電話し、バイク(オジェック)を頼んだ。その時がもう、17:00を回っていた。ホテルにたどり着いたのが、18:00ちょっと前で、サンセットの時間だった。暗くなる前ぎりぎりに着いたので、もう、Matawramに行く元気はないし、運転も多分できない状態までダメージが大きかったと思う。

 

 GnRijaniに挑戦して良かった。登りの途中、何回も後悔した。下りの途中では立ち止まるたびに後悔した。66年生きていて、こんな足の状態は経験したことがなかった。どうなっているのか分からないが、一度座ってしまうともう、自力で立ちあがれない。こんな悔しいことはない。挙句に40kgのポーターに70kgの私がおんぶしてもらって、下山など、最後には比較的平坦な4kmをバイクに迎えに来てもらった。屈辱だが、どうしようもないので、皆さまに手伝ってもらって、もっと迷惑が大きくならないようにするしかなかった。

 

 ところで、活火山のこの山の湖の南側から、様さまなガスを吹き上げていた。夜は赤い噴煙も見えた。今日、聞いた話では、四人の若者とポーターがガスを吸って動けなくなってしまったという、情報がホテルに入ったそうです。私はとてもではないが、そっちの方へ行く元気はなかった。

 

 とにもかくにも、景色は最高、サンセットもサンライズも最高。最低は私の体力でした。こんな筈ではなかった、パニック障害が原因なのか、体力の衰えをつくづく感じた。それでもやり遂げた。

 明日の朝起きたら膝関節が治っていることを願う。

 

 サンライズです。東隣の島、Sumbawa島からです。

9月26日   インドネシアで楽しく暮らす 15−377

斜めからインドネシアを眺めよう 377

  今回の旅行のPhoto Albumを追加し始めましたがまだまだしばらく追加中の状態になります。旅行記は帰ってからですから、29日過ぎでしょう。

 今は、先日泊まった、ホテルLOMBOK RAYAにいる。08:00にSembalun LawangLembah Rinjaniを出発し、北へ向かって山を下り、島の北の海岸についた。そこから、左折し、海岸沿いにGiri三島の船乗り場を通過し,しばらく行くと、Mataram方面とSenggigiに分かれる。マタラム方面は近道ですが山の中、海岸沿いに、Senggigiに向かった。途中、何度も車を止めて写真を撮った。この辺りは三度目である。一回目二回目と今回、私の状態が全く違う。レンタカーではこうはいかない。運転手も一緒にレンタルしなければならないからです。Bナンバーの運転手は私ですから。

 14:00にはホテルに着いた。そのまま、フェリーに乗ってBaliへ渡ってしまおうかとも思ったが、体が悲鳴をあげていることが分かるし、この時間にフェリーに乗ったら、Bali到着が20:00を回ってしまう。それから、安宿を探すのは、辛すぎると感じた。今日まで、かなり無理をしてきたのだから休養日とすることにした。

 四日ぶりにお湯が出るシャワーを使い、全身を洗った。茶色い排水がしばらく続いた。体中が小さな傷だらけ、用意してあったが、帽子を持っていくのを忘れ、日焼けで、おでこがひりひりする。首のまわりもである。手の甲も真っ赤である。ゴルフ焼でないことは左手を見れば明らかである。両腕の筋肉も痛む、自分の体を起こすためや転ばないために両腕の力で支えなければならなかったからです。年寄りは三日以上後から、痛みを感じるようになるというが、既に相当痛いのだから、明日はどうなってしまうことだろうと思う。

 今は、自力で立てるが立てなかったときは一体どうなってしまうかと思った。老人が杖を使わなければ歩けないとはこういうことかと思った。

 一人旅は楽しい、と書いたが、今回は一人でよかったと思う、マリアさんでも他の日本人とでも一緒だったら、決行できなかったし、もし決行したら、非常に厳しい状態になっていただろうし恨まれることになったでしょう。誰も誘わなくてよかったと思う。

後ろの島はギリ トゥラワンガンです。今回の旅行のスタイルです。日本人とはにわかには思われない。国籍不明人間です。ありがとう、とか、こんにちは、といって何となく言わなくても分かってもらえるようにする。山で、相前後していた欧州人の中には日本語が少しできる人もいて、盛んに日本語で話しかけてくる。

地元のマタラム大学の学生たちの五六人のグループとも休憩所一緒に休む時、私に日本の状況を聞いてくる。インドネシアからの留学生の状況を知りたがっていたようです。

 外国人の多くは、スンギギ辺りのインフメーションやホテルのエージェントを通して、パケット料金を払って、送迎バスかタクシーでべースになるホテルへ来る。相場は一人2.5ジャタ(二万五千円)だそうです。私は、直接現地でガイドとポーターを頼んだのでかなり割安だったようです

 大部分の登山客は島の北方から山を目指し、 Sunaruをベースにする、ほとんど、森林の中をひたすら登るコースとる。このコースはどうしても二泊三日のスケジュールになります。